助手さんのひとりごと

2001年6月30日までのものは、こちらに移しました。

2001年8月30日までのものは、こちらに移しました。

2001年10月30日までのものは、こちらに移しました。

2001年12月30日までのものは、こちらに移しました。

2002年2月28日までのものは、こちらに移しました。

2002年4月30日までのものは、こちらに移しました。

6月28日(金曜日)

 最近の公園の水道の蛇口は、ばね仕掛けになっているものがあって、取っ手をひねっても手を離すとすぐ元に戻って水の流れが止まる。出しっぱなしにする人がいるからということでの対応なのだろう。10秒間流れるとかいう仕掛けではなく、すぐ止まる。ちょっと手を洗うのに不便だ。子供と砂場遊びをした後で道具を洗うんだけど、これからは水をためるバケツを持っていったほうがいいのかもしれない。
 水道といって中学時代のことを思い出した。僕が通っていた中学校では、当時、水道の取っ手の紛失が相次いだ。あんなものを盗んでもどうしようもないと思うのだが、ある程度紛失した時点で、周りの生徒がわれ先にと取り外しにかかり始めたのを思い出す。取っ手のない水道の蛇口の前で、ポケットに忍ばせておいた取っ手を「マイ取っ手」(笑)といいながら、はめこんで水を使うわけだ。人の迷惑になること甚だしいので、まねしないで下さいね。

 どうでもいいことなのだが、半年毎にやってくる本の請求書が届いた。毎回、思ったより少ない。支払いが少ないこと自体はうれしいのだが、学生時代に比べて本を買っていない、読んでいないということが如実にわかる。研究費でそれほど買っているというわけでもなく、勉強不足を痛感する。時々、テキストや辞書、参考資料を買うのがもったいないという学生がいる。外国語を勉強するなら、辞書は最低限買うもの。お金がない時に買う本は、吟味に吟味を重ねて、何度も何度も考えて買うから、いい本が買えるもの。それから、卒業論文・修士論文で使うかもしれないと思った資料はとりあえず買っておきましょう。目録類は手元にあってこそ意味があります。いつも側にあれば、暇な時にめくったりするでしょ?そうすると、必要な時だけ使うのと違って、目録のほうも協力してくれます。

 今日で6月の授業も終り。

 7月になったら、いよいよ定期試験。昨年度はどんな試験が出るんですか、という質問をしに来た1年生がいたけど、今年は受講登録のときにそんな1年生が訪ねてきて、ちょうど4年生がいたから話をしてもらった。初めての大学での試験って言うのは緊張するよね。

6月27日(木曜日)

 エレベーターがらみの話が続くが、エレベーターに乗ったら先に乗っていた学生から「お急ぎですか?」と尋ねられた。別に急いでいるわけでもないから、いいえと応えてドアが閉まるまでじっと待っていた。ドアが閉まった後で、彼女が「1回、閉じるボタンを押すといくらか電力を余分に消費すると聞いたので。CO2削減ということで。」と話してくれた。25日に書いたように、基本的に僕はせっかちだから、すぐ「閉じる」ボタンを押してしまう。ちょっと反省した。彼女は続けて、最近の企業のエレベーターには「閉じる」ボタンが使えなくしてあるものがあるとか、そんな話も聞かせてくれた。僕の知っている大学の図書館のエレベーター前には、「一度のドアの開閉で○○円」という張り紙があった。

 エレベーターといえば、よく行く大型店の一方のエレベーター前のホール。このホールがちょうど喫煙場になっているのだが、その喫煙場と売り場を区切るようにワゴンセールをやっている。問題は、このところ、そのワゴンセールで売っているのがクッションやマクラ、ぬいぐるみの類だということ。臭いが染み付いてしまって、商品価値が著しく落ちていっていると思うのだが、どうなんだろう。投書してみようかなあ。このお店には常々お世話になっているし。この大型店で先日買ったサンダルの止め具が僕の不注意で痛んでしまって、修理に出しに行ったらまだ買って間もないからと新品に交換してくれた。また、食品売り場でベビーカーを押しながらレジをとおると、レジの方が必ず荷物を袋をつめる台まで運んでくださる。こういう細かな配慮がある一方で、上のようなことが起こっているというのが、不思議なこと。フロアの担当者というか、責任者というか、そういう人々の考え方の違いの表れかもしれない。

 それはそうと、大学院修士論文中間報告会の日程が決まった。修士論文提出予定の皆さん、夏休みの調査やデータ分析、がんばってくださいね。

6月25日(火曜日)

 エレベーターに乗った時、学生から「先生、上座へどうぞ」といわれた。社会的常識に欠けている僕のことだから(笑)、物を知らないだけかもしれないけど、エレベーターの箱の中のどこが上座なんだろう。一般社会では普通に理解されていることなのかしらん?奥か?それとも操作盤の近くか?入り口のすぐ前か? 操作盤のところはデパートのエレベーターなんかでも操作してくれる方がいるところだから、客席ではないようだ。各階でとまって出入りする人間が多いことを考えると、入り口のすぐ前は動くことが多いから、ここも上席ではないようだ。すると一番奥になるのかなあ?
 でもいざ出ようという時には出にくいし、僕はせっかちだから「閉」ボタンをすぐ押せる操作盤の近くがいいなあ。それに、高所恐怖症だから、透明で外が見えるエレベーターなんかに乗る時には、一番奥というのは緊張してくらくらする。そんなことを考えると、僕にとっては一番奥というのは避けてしかるべき場所だ。まあどうでもいいけど。

 ご退職なさった大谷森繁先生の研究所に行ったという方と話をする機会があったのだが、大谷先生は今も活躍なさっておられ、5月末の原稿も書き上げられ、東京にも調査にお出かけになっているとのこと、近々、韓国にもお出かけになるとか。先日は、僕もお電話をいただき、近況をうかがったのだが、お元気なご様子で安心した。「遊びにおいで」と何度も誘っていただき、行きたくてたまらないのはいうまでもないのだが、行くなら行ったでゆっくりしたいと思うからなかなかいけないわけだ。朝鮮学会は天理大学で開かれるのだが、なぜか、日本語教育学会といつも日程が重なるため、入会したものの一向に参加できないでいる。今年はどうなることか。

 韓国・朝鮮語の非常勤講師をお願いしている金根五先生と昨日はお話する時間があった。毎時間提出させている質問用紙に目を通すのが大変だとおっしゃっていた。とはいえ、そこから拾い上げた質問を次の時間に解説してくださっているのだから、ありがたいこと。こういう先生にめぐり合えた学生は本当に幸せだと思う。 

6月24日(月曜日)

 韓国に半年の間、研究員として留学していた後輩と市内で会う約束をしたのは先週のこと。で、土曜日に子供と妻を連れて市内で落ち合った。最初は「いきつけの」イタリアン、と思っていたのだが、新しいお店を開拓しようということで急遽、別のお店に行くことになった。フレンチの店だったのだが、ランチタイムはパンのおかわりが自由。若鶏の胸肉のローストはとてもおいしかった。
 彼女は文化人類学専攻なので、研究の話を聞いても彼女が面白いと感じるような質問はできないし、韓国にしばらく行っていない僕にとっては、彼女の韓国の話もなんというか、別世界のような感じで(笑)聞いていた。ただ、彼女はある財団の研究助成金をいただくことになっていることもあって、大学院に在籍している他の知り合いの中では、非常に恵まれた環境で研究が進められていることだけはわかった。

 で、彼女に頼んで買ってきてもらったのが、『最近入手した書籍について』に掲載した『手紙の書き方百科』という本。韓国にいる時にはなんとも思わなかったのだが、最近、韓国の知り合いや機関に手紙を書く際、そのマナーというか、書き方がわからないことが多いことに気がついたわけ。よくよく考えてみたら、去年までは大谷先生に頼っていたところだから。この本、基本的なこと、例えば、封筒の書き方であるとか、時候の挨拶であるとか、相手の家族の呼び方であるとか、そういったところは、多分間違いがないと思うのだが、掲載されている文例が変。

 本の構成は3章。第1章の「生活手紙」はいい。日常生活で頻繁に起こる出来事に対応した例文が掲載されている。でも第3章の『名士達の手紙』はちょっと。まあ、韓国人名士の書いた手紙なら文学作品とでも思って読めばいいのだろうけど、なんでまたモーパッサンの手紙とか、ゲーテの手紙を韓国語役で読むことになるんだろう。これは名訳を味わえということか? と、まだこの二つはいい。問題は第2章の『愛の手紙』だ。恋人との手紙、友情の手紙、家族との手紙、夫婦間の手紙、兄弟との手紙、ファンレターと文例は挙げてあるのだが、恋人との手紙・ラブレターというのがなんともいえない。恋は盲目というが、幾らなんでもこれはないだろうと思うような文句が続出。昨日、妻に読んで聞かせていたら『勘弁して』といわれた(笑)。

 思い出すのは、韓国にいた時。歴代の日本人教師が受け継いできた文庫本や資料、辞書類の中にやはり手紙の書き方というものがあった。出版社や本の正確なタイトルは全く覚えていない。ただ、その時に見たラブレターの例文が今も頭を離れない。曰く、

 あなたのことを思うと、胸が小鳩のようにふるえます・・・

 ・・これを参考にしてラブレターを書いた人がいるのだろうか? ネイティブではない先生がこれをもとに日本語での手紙の書き方という文例でこの例を挙げることはないのか? さまざまな疑問と謎を抱えた本だったのだが、韓国でも同じことが起こっていたとは。まあ、後で交換留学生に、普通こういう文を使う?って尋ねてみよう。使うというのであれば、勉強しなくちゃ(笑)。

 話は変わるが、NHKラジオのハングル講座のテキストに僕が院生時代に教えていただいた先生がコラムというか、読み物を書いていらっしゃる。自分の知っている人にこういう形で再会するのはうれしい。またお会いしたいもの。

6月21日(金曜日)

 昨日の夜、初めて気がついたのだが、娘が紙の箱を積み上げることができるようになっていた。今までは、僕がつんだものを横から倒して喜ぶだけだったのが、昨日は立ち上がって一つ、二つとつむことができるようになっていた。もっとも、ちゃんと積めるのは偶然のようで、上に積んだものが転がり落ちることの方がまだまだ多い。それにしても、子供の成長は早い。

 話題にしようと思いつつ、随分と時間がたってしまったが、ソウルにある鍾路書籍という本屋さんが不渡りを出して倒産したという。人文科学、社会科学系列の書店としては1、2位を争う大型店だったのだが、近くにある大型店に負けたといったところか。僕がソウルに行く時にはいつもこの鍾路書籍の正面にあるホテルに宿泊している。ここを根城にすると、ソウルの大型書店三店が徒歩圏内でゆっくりと資料あさりができるからだ。2年近く韓国に行っていないと変化についていけるのかなという不安が胸を過る。

 さて、本学大学院の募集要項が準備できたようだ。学生が募集要項がいつできるのか気にしていたから、教えないと。

6月20日(木曜日)

 今更といった感もあるのだが、熊本の町立中学校で丸刈りを拒否したことによって卓球の試合を強制的に辞退させていたというニュースが報道された。中学校での丸刈りなんて、まだこんな形で強制が続いていたとは思いもよらなかった。僕も中学時代は丸刈りで過ごしていた。でもそれはもう15年近くも前の話だ。ルールを守るのが当然だという校長の談話が掲載されており、正当な手続きによって変更をするべきだという言葉も合わせて掲載されていた。その校長の言葉を全面的に信頼するとすれば、会議の議題に載せようとしたこの生徒の行為を押しとどめた担任の行動が糾弾されるべきだ。
 僕の育った町では、当時、市内にいくつかあった中学校の中で1校だけ丸刈りではない長髪の中学校があった。その中学校から転校してきた友人が、しばらくの間長髪で過ごしていたのだが、ある日、生徒指導(生活指導だったかなあ)から「中学生らしい丸刈りにするように」といわれたといっていた。前の中学校では、彼のような髪型が「中学生らしいといわれていたのに」といっていた言葉を思い出す。
 丸刈りがいいとか、悪いとかいう問題の根本は、今回問題となった中学校が公立であるということだ。私立学校が、独自の教育方針で行っていることならともかく、今ではもう崩れてしまったのかもしれないが、全国で同質の教育が受けられるという義務教育の場で、ある中学校では丸刈りでなくても何もペナルティがなく、別の中学校ではペナルティが課されるというのはおかしな話だと思う。何よりも、その中学校に入学する前に、校則について充分に広報されていたのかが気になる。通う前にそこの中学生の頭を見て、丸刈りなんだなあと推測するのではなく、中学校からその校区内の人々に丸刈りをするということ、丸刈りにしない学生にはどんなペナルティがあるのかを広報していないのであれば、あまりにも一方的な処置だと思う。
 髪形や服装を気にし始めると授業に集中できないとか、勉学に集中できないとか、そういう理由で正当化を図る人たちもいて、それはそれで僕もうなづく部分もある。確かにうすくなりつつある髪を気にしたり、季節代わりのたびに縮む服のことを気にし始めると勉強ができないのは僕もよくわかっている。でもでも、もうそんなレベルじゃないんじゃないのかなあ。授業に集中できない理由がこんな髪型や服装に求めるのは、時代遅れのような気もする。ワールドカップの試合が見られないということでそわそわする学生もいるだろうし、携帯電話が気になる学生もいるだろう。給食が気になって仕方がない学生が多いからという理由で、給食は廃止になるのか? 魅力的な先生がいて、その先生のことを思うだけで勉強が手につかないからといって、その先生を転勤させるのか? 目の前から関心を引くものを隠してしまえばすむという判断は、安直といえば安直に過ぎる。今の中学生の世代に限らず、子供達の関心は多様化している。多様化した関心の全てを封じ込めてしまうつもりなのだろうか。そんなことを感じたニュースでした。

 話は変わるけど、火曜日の退勤直前、注文していた本が届いた。タイトルを見て思わず注文した本なんだけど、開いてみて涙が出そうな思いだった。ずっとこんな本がほしいと思っていた、まさにそんな本だったからだ。昨日の自宅研修日は、ゆっくりとその本を読んだ。で、今日はちょっとごきげん。

6月18日(火曜日)

 韓国で働いていた時、僕の授業を取っていた学生が今、日本の大学院で学んでいる。妻の授業も取っていた学生なのだが、なかなか会うことができず、メールでのやりとりをしているだけだ。その学生の名前を韓国を紹介する新聞記事の中で見つけた妻が驚いて僕に教えてくれた。早速、メールを送ってみると、彼女はその新聞社でこのワールドカップの期間を中心に翻訳のアルバイトをしているという。韓国にいた時でさえ、僕達が舌を巻くほどの日本語力だったから、日本に留学している今、日本語の力はさらに伸びていることだろう。

 最近、書店に行くと韓国語・韓国文化の入門書や解説書が随分増えてきたように思う。笑えるのは、スポーツコーナーの一角に韓国コーナーが作られていた書店を見たこと。ワールドカップがなければ、いろいろな分野別に並べられていたであろう書籍が、一つの場所に集められていて、韓国に付いていろいろな角度からアプローチしている本があることがわかる。とはいえ、まだまだ少ない。韓国にある日本語・日本文化の解説書はこんなもんではない。もちろん、誤解に基づくものや誹謗中傷に終始する本もあるが、関心を持つ人の数が一桁も二桁も違うことを感じる。

 昨日、韓国の友人から電話がかかってきた。彼とは日本語で話をしているのだが、その後、折り返してこちらからかけた電話で彼の所在を尋ねると、電話番号が変わったといわれた。ここまでは聞き取れた。で、新しい電話番号を教えてくれたのだが、どうもこれが聞き間違いだったようで(確認したんだけどなあ)、その番号に書けたら『間違ってますよ』といわれた。やむを得ず、自宅に電話をかけ、奥さんに用件を伝えたのだが、どうもいけない。2年近く韓国に行っていないと、こうも言葉の力というのは落ちるものか、と情けなくなってくるほど。奥さんとの会話の中でいくつかは質問に対して適切な答えができていなかったと思う。電話の向こうで戸惑っている雰囲気が伝わってきた。

 もう2年近く韓国に行っていない。行って調べたいこと、行ってみたいとこ、行って食べたいもの(笑)がたくさん。1週間でいいから時間が取れるといいんだけど。今の様子だとこの夏もそんな時間はなさそう。それがちょっとつらい。

6月17日(月曜日)

 土曜日に平和公園へ出かけた。お弁当を持って、平和公園内の木陰に座って過ごしていたら、パンを食べていた娘の側にすずめが1羽寄ってきた。痩せた雀だねえと妻と話していると、突然雀が飛び立ち、ハチドリのように滞空しながら娘の持っていたパンをついばもうとした。僕も妻も、娘も、呆然としてみていたのだが、うまくついばめたのか、滞空するのに疲れたのか、雀はどこかへ飛んでいってしまった。娘の手を見ると、人差し指についばまれた跡が赤く残っていた。ああいう場面を見ることは今までなかったので驚いた。それにしても、木陰で寝そべっていると、眠くなるいい季節になった。

 最近、娘がブロック遊びに興味を持ち始め、退勤後や土日には近所の大型店に出かけて、おもちゃ売り場の側に作ってあるブロック遊びの体験コーナーに娘を連れて行くようになった。別に何かを組み立てるわけでもなく、色や形が様々のブロックを持ち上げては右へ左へと置き換えているだけなのだが、本人はいたく気に入っている様子。昨日の夕方は、なんか僕のほうが夢中になってしまって、土台をしっかり作って、結構な高さのオブジェ(笑)をつくった。娘はと顔を挙げると、僕に背を向けて一人で黙々と何かをしていた。かえって、他の子供達が「すげぇ」と近寄ってきて、「これちょうだい」と僕のオブジェ(しつこい?)にいろんなパーツをくっつけて遊んでいた。なんだかなあ。

 気がつくと、6月も半ばを過ぎて、論文の締め切りに焦りを覚える今日この頃。今日から月末にかけて、雑用が入ってきませんように。

 あ、書き忘れてた。野副伸一先生の集中講義前に読んでおくように指示の出ている本について、掲示を出しました。1階、3階、6階、7階にあります。必ず読んで出席して下さいね。

6月14日(金曜日)

 昨日は資料−特に古書類−の整理をして過ごしていた。7月1日締め切りの論文を書くにも、資料を探し出す時間のロスがあまりにも大きいことがわかり、半日を整理に費やすことにしたわけ。ファイルを作ったり、資料をまとめたりすること自体はわりと好きなのだが、問題は、収集がつかなくなるまで放っておくという性格。つまり、部屋中が資料であふれかえり、何がどこにあるのかわからない状態にならないと整理をはじめないということだ。で、古書のほうもそんな状態に陥ったため整理に着手した(笑)。
 子供の頃から、参考書や問題集等は買ってもらって本棚に並べた時点で勉強した気になったりしていたが、今も資料を集めるまでは大騒ぎをして、資料を集めたら、調べ終わった気になってしまうことが多いような気がして反省した。だって、今回の古書整理で、恥ずかしいことだが「こんな資料、持ってたっけ」というものが結構多かったから。
 それはそうとして、WORDの講習会が始まった。今回は、僕も特にお願いしてテキストだけ分けていただいた。普段使わない機能の説明があって、いざという時の虎の巻になった。とはいえ、自分が普段使わない機能というのは、必要としていない機能であることが多く、テキストどおりに1度やってみたところで、身につくことは少ない。講習会で学んだことは、繰り返しておかないと、いざという時に役に立たないわけ。ま、これはどんなことでも同じだろうけど。この前から何度も言うようだけど、『必要だ』という時にはじめるのでは手遅れ。誰かに助けを求めたところで、その誰かも自分のことで手一杯かもしれないでしょ? とりあえず、自分の力でできるようになっておかないと。

 さてさて、今年も日韓文化交流基金から韓国訪問研修団の募集依頼が届いた。ありがたいことに、本学から一人参加できる。全国から18名だから、韓国・朝鮮関係の勉強ができる大学としてはベスト18にはいると認知されているわけだ。詳しいことは学内掲示を見てもらえばいいのだが、費用もほとんどかからないから、是非申し込んでほしい。僕が学生のときは、こんな話は身近になかっただけに、非常にうらやましく思う。

 集中講義の日程に変更がありました。掲示を確認して下さい。学生の皆さんには予定が代わって大変だと思うけど、出席予定の国際会議の日程に変更があったとのこと。国際的な水準での研究をなさっている先生方においでいただいているということで、許してください。僕個人としても、この集中講義でいろいろな先生にお会いするのはとても楽しみです。学生だったら授業に参加したいんだけどね、夏は夏で忙しくて。

 集中講義の先生からテキストの指定があった科目があります。準備が出来次第、掲示します。それと、集中講義に来ていただく先生の御著書が図書館に入っています。どんな研究をなさっている方か、あらかじめ読んでおくと、授業の際に先生のお話の背景がわかって面白いです。あと、質問にいったり、お昼をごいっしょしたりする時に話題が広がりますよ。

 今週も今日で終り。さっき、廊下で留学生から、『先生はどこでサッカーを見ますか』と尋ねられた。意味がよくわからなかったので聞き直したら、なんのことはない、今日の日本の試合が3時から放送されるので、どこでテレビを見るのかということらしい。韓国戦は夜だから家でゆっくり見られるのにねえと答えながら、付け加えたこと。『僕はスポーツには全然関心がない』。仕事中だから見ないのはもちろんだけど、関心がないから日本戦がその時間だということを知らなかった(笑)。そういえば、今朝出勤前に見ていた情報番組、司会者もコメンテーターもみんな青いTシャツを着ていた。今思えば、あれが雰囲気を盛り上げるための小道具だったか。 サッカーファンの方には申し訳ないけど、僕のように日本の試合が今日あるということ、いつから始まるということに無関心な人もいるわけ。子供の頃、学校に行ってクラスメイトから『昨日の巨人戦、すごかったなあ』と同意を求められて困惑したのと同様、今日から明日にかけては『日本戦すごかったなあ』と声をかけられて何かを答えなければならないと強迫観念に迫られることになるのかしらん。そう思うと、ちょっと憂鬱。
 

6月13日(木曜日)

 頭が痛くなってきた。一体、どの議員が言ったのだろう。新聞を見ても『国防族の議員』ということしか出ていない。『自衛官は暴走するくらいが良い』というのは、発言の趣旨が間違って伝わったというレベルのものではない。軍隊の暴走が止められずに戦争がはじまった過去を一体どう考えているのだろうか。党内の会議の席上だからざっくばらんにものを言ったというのかもしれないが、そもそもこういう認識を持った人間が今の日本の教育制度のもとで生産され、日本の選挙制度のもとで選ばれているということを真剣に考えるべきだ。ネット上の匿名掲示板における発言であれば、単なる無責任な発言だと非難するだけで済むかもしれないが、発言者が政権与党の一員であるというところに非常な危機感を覚える。こんな人間がいる限り、政府がどんなに必要性を説いても有事にかかる法律は理解されないだろう。

 と、ちょっとまじめな話になったが、戦前の新聞を丹念に読んでいると、結果がわかっているだけに、軍の暴走が気になって仕方がない。システムが暴走を押さえられなかったことが如実にわかる。システムの欠陥は、日本の場合、そのシステム内にいる人間の個性に頼りすぎていることに原因があることが多い。加えて、性善説に立脚したようなシステム構築は、現代の社会では先ず機能しないだろう。誰に代わっても大丈夫なシステムを築くことが大切だ。

 さて、ナンシー関さんが急逝された。彼女の本はほとんど持っていて、記憶スケッチアカデミーなども楽しく読んでいた。39歳でお亡くなりになるというのは、あまりにも惜しい。今年も半分が過ぎて、多くの方が鬼籍に入られた。心からご冥福を祈る。

 

6月11日(火曜日)

 どうでもいいことだが、ワープロ、パソコンが普及して、ペンを握って文字を書くということがめっきり減っている。胸ポケットには万年筆とボールペンを入れてはいるのだが、本を読んでいるときに書き込んだり、考えをまとめる時のメモ書きなどには僕はもっぱら鉛筆を使っている。シャープペンシルを使っていた時期もあったのだが、鉛筆のほうが断然軽く、疲れが少ないからだ。芯の固さはFを愛用している。同じFでも、メーカーによって固さや質が微妙に異なっていて、僕が使うようにしているのは3社の鉛筆に限っている。最近は、手紙だって手で書くということがほとんどなくなってしまったのだが、昨日、久しぶりに万年筆で手紙を書いた。気がついたのは、文章を頭の中でまとめることがとても苦手になっているということ。ワープロソフトであれば、とりあえず入力してから幾らでも訂正ができるのだが、手書きの場合は下書きをしないかぎり、いわゆるぶっつけ本番ということになる。

 人のことは言えないのだが、すっかり漢字を忘れてしまっている。読めても書けない字が多い。ワープロのせいだな、と責任を転嫁してみても仕方がないのだが、考えてみると、辞書を引きながら本を読むなんてことがこと日本語に関していえば皆無になっているような気がする。日本語以外の言語でかかれた文献を読むときには、辞書は側に置いているのだが、日本語で書かれた文献であれば、なんとなく意味がわかるということで放っておくことの方が多いんじゃないかなあ。単に僕の日本語力がないだけかもしれないけど。

 今年はまだ見ていないけど、去年までは漢文資料を読む演習の授業か何かで予習が足らずに授業時間中や、授業の直前に演習準備室に駆け込んで調べ物をしている学生が多かった。普段、1冊モノの漢和辞典を頼りにしているらしく、演習準備室の「諸橋」を目の前にして呆然としている学生もいたけど、辞書なんてのは基本的に道具なんだから、必要な時に使い方から学ぼうというのはちょっと無理がある。普段からどんなものかを見ておくのが必要だと思う。これは他の辞典類にも言えること。普段からページを開いてみるくらいのことはしておいても損はないと思うけど。

 さてさて、台風が近づいている様子。昨日から雨が降り続いていて、娘の機嫌は非常に悪い。散歩に出かけられないのがいやな様子。梅雨明けまで、大変なことになるんだろうなあ。

6月10日(月曜日)

 金曜日の退勤後、娘を連れてとうかさんに出かけた。以前にも書いたように思うのだが、露店の“標準価格”の高さに参った。確かに、僕がこういうお祭りの露天を覗いて楽しんでいたのは中学・高校のときが最後だったと思うから10年以上の年月が経っている。とはいえ、金魚すくいが300円〜500円というのには参った。恐くて値段を聞いていないが、お面や綿菓子なんかも高くなってるんだろうなあ。そういえば、今回目を引いたのは「チョウザメすくい」。金魚すくいの要領でチョウザメをすくうわけだ。チョウザメといえば、キャビアは・・という言葉が頭を過るのだが、ひよこ売りといっしょで雄しか売っていないんだろうなあと覗き込んでいた。お決まりの輪投げや射的に加え、ダーツやアーチェリーなんかがあったのも目新しかった。大変な人出だったが、お祭りなんだからあれくらいにぎやかじゃないとね。

 それにしても、時間のたつのが早い。何もはかどっていないのに時間ばかりが過ぎていく。つくづく自分の要領の悪さを実感する。7月1日締め切りの論文はほとんど手をつけていない状態だし、7月末の研究会報告のレジュメもまだ。がんばらなくては。

6月7日(金曜日)

 いやなニュースばかりが目に付く。例えば、オーストリアのニュース。ドイツ語ができなかったら国外退去だという。イタリアやアメリカでは指紋押捺制度の導入という話もある。韓国のように自国民も外国人も指紋押捺制度を導入している国であれば指紋押捺制度そのものが嫌だという話は出てくるにしても、特定の人に限定した押捺制度というのは嫌な話だ。経済状況がよくないとか、テロをはじめとした犯罪が増加しているとか、そういう状況だとはいえ、世界全体で寛容さが失われていっているような気がする。僕も韓国での外国人登録をする際に手に真っ黒なインクをつけて両手の5本の指の指紋をとられたことがある。「この国ではみんながやってる」という諦めにも似た気分になったものだ。

 いやなニュースといえば、火曜日にも書いた食品の回収騒ぎ、モノが香料だったということで、菓子に限らず様々な食品に影響が及んでいる。今日、新たな物質使用が明らかとなり、明日の新聞にも謝罪広告が掲載されることになるのだろう。驚いたのは、こういう人工的な香料の使用されている食品の数の多さ。ちょっといやになったのは、商品名からは人工香料の使用を想像しにくい製品があったこと。で、もっといやになってきたのが天然成分だけで作ったということをウリにしている食品が実は人工香料を使っていたのに、公にしにくいため隠していたという事件が後で出てくるんじゃないかなということを考えたこと。

 昨日の退勤間際までパソコンの調子が悪かった。ネットで解決方法を検索しつづけたこと数時間。パソコンで文書を作るというのが一日のほとんどの時間を費やすことだから、パソコンが動かないともうどうしようもないわけ。SEの方に相談することも考えたんだけど、自分で対応方法を探し出すのも大切なこと。そういうトラブルと解決方法を紹介しているホームページを探し出すことができ、また、調子が悪い原因もわかり、加えてトラブルを解決することもできたので満足している。それにしてもメーカーのトラブルシューティングはあまり役に立たないことを再認識した。「ウィンドウの最小化とはウィンドウを最小にすることです」というのは説明になっているのか?先日、ある先生にワープロソフトの使い方がわからないという相談を受けたのだが、曰く「分厚いマニュアルを読む暇がない」。分厚いマニュアルを読んでから使うというのは、実際のところ、ほとんどの人がしていないことだろう。困った時にマニュアルを開くといったところだと思うのだが、困った時にマニュアルを開いたところで、「ウィンドウの最小化とはウィンドウを最小にすることです」なんて書いてあったりすると脱力するよね。自分が既に知っていることがあふれている一方で、知らないことはわからないように書いてあるというのがマニュアル(笑)。
 ワープロソフトにしても、データベースソフトにしても、必要だという時に何もかもおぼえようというのは無理な話。どうでもいい文書を作っているときに、いつもよりもちょっと凝ったものにしようと遊び心を持って接するのが一番。まあ、先生方はレジュメを作ったり、公的な文書を作ったりが多くて遊び心を持って何かをするということは少ないのかもしれないけど。

 さてさて、今日から広島市内はとうかさんで盛り上がるのかな。日曜日は所用で出かけるので、今日の退勤後か明日、子供と一緒に出かけてみよう。

6月4日(火曜日)

 昨日からインターネット上で騒がれていた大手菓子メーカーの回収騒ぎ、今朝は新聞にも回収のお知らせと謝罪広告が掲載されていた。昨日、ネット上で僕が確認したのは3社だったのだが、新聞に掲載されていたのはそれよりも多かった。で、どのメーカーも、回収する製品について掲載していた。名前だけではぴんとこない。名前を意識して購入しているお菓子がどれくらいあるのかというのを考えてもらえれば理解していただけると思うのだが。で、インターネットで、各社のホームページを探してみた。対象製品を写真で解説しているメーカーもあれば、『最新ニュース』が4月10日の段階で止まっているメーカーもあり、対応は様々。この最新ニュースが止まっているメーカーは、結構大手のメーカーで、僕も妻もおいしく食べているクッキーやビスケットのメーカーだったものだから、少し残念。インターネットを通じての情報公開なんてそんなに厄介な作業ではないのに。しかもこのメーカー、自社の製品を写真で紹介しているページはある。このページを利用してもいいんじゃないかなあ。

 インターネットに対する認識が企業によってかなり違うことがわかる。先日、企業のサイトを数十社調べてみた。何をかというと、採用情報がどのように掲載されているかということを。採用情報が極端に少ない企業、あるにはあるのだがリンクしているところを探すのが大変な企業、トップページの動画が重すぎてなかなかページが開けない企業などもある。実際にどの企業のサイトが見やすかったとか、そういうことをここで書くつもりはないが、自分の企業で働きたい時にはどのような手順とタイムスケジュールで動けばよいかを具体的にサイトで紹介しているところもある。エントリーシートや会社説明会の受付をメールでのみ受け付けるという企業も増えつづけているようだし、サイトの運用次第で有能な人材は集まると思うのだが。景気の良かった頃と違って、企業も人材を厳選している。それに応えうる人材になるというのが今の学生に求められていることなのだろう。大学の授業が直接何かの就職活動に役に立つということを求めている学生も多い。ただ、あまり性急に視野を狭めてしまうのもどうかと思うことがある。必要なものしか受講しないというのは、一見効率いいように見えて、実は大きな損をしていると思う。自分の求めるものを推し進めていくには、多くの助けが必要。その助けになる知識や技術というのは、時間に余裕のある学生時代に身につけておくべきだと思う。

 僕は学部時代日本語教育を専攻していたが、卒業して1年浪人した後で言語療養士になるため大学院に進学した同級生がいる。140単位近い授業の中で受講した心理言語学の15回の講義の中のわずか1回、その中の数分しかその職業に触れた時間はなかったように思うのだが、彼女がそれにこだわりつづけていたことを後日知った。自分の人生を決めるのは、今日受講する授業の中の1分間かもしれない、今日配られる資料の1行かもしれない。そんな緊張感を持って授業を受けていたら、直接就職に役立つ科目も今以上に生きてくると思う。自分が何をやりたいのかがわからないままで就職活動するのは、しんどいと思うよ、正直なところ。エントリーシート、書けないでしょ?

 どうでもいいけど、5月30日に書き込みましたが今月はワードの講習会があります。論文を書く予定の人、是非出席して下さいね。でも、就職活動で忙しくて出席できなかったという人は、ワープロソフトを使っていてわからないことがあったら気軽に助手さんを訪ねてください。わかる範囲で対応します。ただ、漠然と尋ねてこないで下さいね。何がしたいのか、どうしたいのかをはっきりさせてから来てください。昨年度もその前も、中間報告会の前と提出の前は、大変な騒ぎになりましたから、早め早めに。くれぐれも言っておきたいのは、中間報告会の1週間前になって初めてワープロソフトを利用するなんて事のないように。ね!

6月3日(月曜日)

 週末、広島駅前のデパートに出かけたのだが、たまたまそこで韓国物産展をやっていた。お店の方は韓国の方が多いにもかかわらず、日本語のやり取りに不自由されている様子もなく手馴れた感じ。韓国語で話し掛けて交渉すると、おまけしてくれることがあります。韓国・朝鮮語を受講している皆さん、チャレンジしてみましょう(笑)。
 韓国の書店に依頼していたコピーが届いて、さっきからそれを眺めているのだが、統計資料というものはどのような調査項目を立て、どのようにデータを収集したのかがわからないとどう判断していいのかわからない。届いた資料は正にその「どう判断していいのかわからない」資料の山だ。ちょっと頭が痛い。朝鮮総督府の調査した統計なんだけど、調査方法や質問内容がわからない状態で数字だけが出てきていて、果たしてこの数字を信頼していいものか。どこかで数字が操作されているのではないだろうかという疑いを持ってみているわけ。植民地朝鮮に関する統計をいくつも見てきたが、また、多くの研究者がその数字に基づいて議論を重ねてきているのだが、データそのものに対する疑念はついて回る。その統計を発表した朝鮮総督府が自分の施政上、有利になるように数字を改ざんしたという可能性は否定できない。データを利用すると言うのは、実は非常に恐いことなのだ。
 
 日本語学の先生から、本をいただいた。日本語学の論文や本を読むとき、用例の出典を気にして読むと面白いことがある。ある研究者は時代小説からの出典が多いとか、ある研究者は映画シナリオからの出典が多いとか、そんなことを思いながら読んだりする。特に、その本や論文を書いた方を知っていると、その面白さは倍増。「ああ、あの先生はこんな本を読んでるのかあ」と意外な感を受けることもあれば、「ああやっぱり」と思うこともある。日本語学の論文なんかは、用例の積み重ねという面があって、その用例収集が勝負だと学生時代に教えられたのだが、僕はそういう作業が苦手で。いまだにお会いするとそのことをチクリと指摘されていてなんともいえない気持ちになる。

5月31日(金曜日)

 あっという間に5月も終り。
 中国語を担当してくださっている顧明耀先生とは、話をするたびに共通の知人が発見できて面白い。僕がこの大学に赴任してきた当初、自己紹介をすると、学部時代の先生方のお名前がたちどころに数名出てきて、話をよくよく聞いてみると、中国の日本語教育事情を視察にいらしたのが僕の学部時代の先生方であったとか。その後、日本語教育学や言語学の関係で共通の知人が次から次へと。
 顧先生は、中国にいらっしゃった時に古い日本語教育関連の書籍や古い中国語教育関連の書籍を集めていらっしゃったと言うことで、時々研究室にお邪魔して資料を見せていただいている。僕の持っている資料の中で中国語に関係していてわからないものと言うのは、大抵、顧先生のところで解決すると言うことになる。縁とは異なものとはいうが、顧先生とこの大学でご一緒できているのは非常に恵まれていることだと思う。

 恵まれていると言えば、日本文化の先生方とも英米文化の先生方とも同じ学会に所属していたり、共通の知人がいたりと面白いことも山ほどある。悔やまれるのは、なかなかそういうお話が出来ないこと。いろんな学会に顔を出して、懇親会で挨拶をしていると○○先生によろしく伝えてくださいと言われることも多く、今更ながら、複数の学問領域が密接に関係している今の研究状況を思う。

 他大学では始まってきているのが、教員が相互に授業に参加するというもの。実際、僕も就職したての頃はこんなに忙しいとは思っていなかったので(笑)、興味ある授業に顔を出してみようかと思っていた。勉強していると、自分にかけていることが明確になる。大学のときに少しでも聞いておけばよかったということは数知れないのだが、自分で本を読んだところでわかりにくいところはそのままになってしまうことが多い。授業に出て説明を聞けばそれなりにわかるんじゃないかなと思うわけだ。

 授業の内容をインターネットで毎回公開しているという大学の先生がいらっしゃる。時々僕もネット上でその授業の内容を読んでみている。自分の授業内容を公開するというのは、それだけ作りこんだ授業をなさっていると言うことに加え、その時間を作っているということだ。僕も自分のホームページでの研究の解説が進まないままになっているのがつらい。

 さてさて、昨日からはじめた7月1日締め切りの論文。実は、再投稿扱いになって帰ってきたもの。投稿したのは昨年の10月で、戻ってきたのは3がつ、その後、他の論文を書いていたりしてようやく取り組める状態になった。1年近く経てば内容も大きく変わる。付けられたコメントを参考に、大幅に書き換えるつもりだ。再投稿であろうと不採用であろうと、コメントが付けられているのはうれしい。すこぅしだけど意義も認めてもらえてるし。てなことで、この週末も本を抱えて家に帰らなくては。本というより、資料なんだけど。

5月30日(木曜日)

 学会でお目にかかった先生方に教えていただいた資料などが届き始めた。というか、お願いして送っていただくようにしていたものが届き始めた。自分が探しているところと少しちがった分野では先行研究や資料がどっと出てくるが面白い。もちろん、僕の勉強不足という面が大なのだが、政治学の論文や経済学の論文までもが届き始めると、自分が今やろうとしていることが多くの分野に支えられているものであると言うことを如実に実感する。論文の中身そのものは、理解できないことも多いのだが、そこに触れられている原資料についての情報などは、非常にありがたく、今、僕のほうでも資料請求の手続きをはじめている。いろいろな人とお会いして話をすると言うことはとても有意義なもの。

 さて、情報教育センターから卒業論文や修士論文を執筆する人たちを対象にしたWORD講習会のお知らせがあった。学内の掲示に出ていますので、見てくださいね。アジア文化コースのホームページにも掲載しています。アジア文化の大学院生には社会人の方が多いので昼間の講習会参加は難しいと思いますが、お昼に時間がある人は参加して下さい。というのも、昨年も、一昨年も、提出間際になって使い方がわからないと言う相談をしてくる人が数名いるからです。誰を優先するわけでもないのですが、最初に相談しに来た方から説明していると、最後の方まで説明ができないと言うことになります。友達に尋ねようとか、本を買って自分で勉強しようと言うことでしたらかまいませんが、後で先生に聞けばいいという考えだと、先生のほうは先生のほうで順番待ちの状態になっていますから、怒っても泣いても仕方ありません。余裕のあるときに勉強しておきましょう。

 余裕のあるときに勉強しておこう、というのは論文の書き方そのものにも言えます。論文の書き方を指導する書籍も出ていますし、参考資料として集めた論文なんかに準拠してもいいですから、しっかり身につけておきましょう。

 といいはしたところで、困ったら気軽に相談して下さい。時間の許す限り説明します。まあ、僕が知らないことは多いから講習会に出たほうがよくわかると思うんだけど。

 話は変わるけど、昨日の研修日、ようやく投稿論文が一つ書きあがって、無事送ることができた。『届いた』と言う連絡はまだないけど。で、論文を送ったら晩御飯は『餃子』と言う約束に基づいて、昨日は餃子だった。で、今日はちょっと幸せな気分。
 次は、7月1日締め切りの投稿に向けてがんばらなくては。審査をパスして掲載されるといいんだけど・・

 

5月27日(月曜日)

 土曜日、日曜日、お茶の水女子大学で開催された日本語教育学会春季大会に参加した。学会に参加すると、自分の不勉強を再確認すると共に、新たに関心を持つような分野に出会うことも多い。今回もそんな学会だった。と、いうまじめな話もあるのだが、実際は、懐かしい方々にお会いするという、一種の同窓会のような側面もあったのは確か。出身大学の愛知教育大学日本語教育コースの先生にもお会いできたし、そこの後輩達、また、学部生、大学院生の際に教えていただいた先生方にも多数お会いできた。おぼえていただいていた方もいらっしゃれば、「いたっけ?」というような反応の方もいらっしゃって(笑)、まじめに授業に出てなかったからなあと反省することもしきり。とはいえ、懇親会は本当に楽しく、自分の研究テーマについて先生方からアドバイスをいただけたことは非常にありがたいことであった。
 論文、著書、あるいはホームページで下目にした事のない先生方とお会いできたのも良かった。学部生や大学院生で、僕のホームページを見てくれていた人たちと知り合えたこともうれしかったことの一つ。同じ関心を持つ人たちと顔を合わせていろんな話が出来るというのは、視点の多様さ、資料の情報などを知る事ができることである。
 ふと思ったのは、多くの先生方がご自分のゼミ生と一緒に学会に参加なさっていたこと。大学院進学を考えている学生にとっては、他大学の先生とざっくばらんに話が出来るという意味では他に変えがたい機会である。僕は今授業を担当していないから、学生を連れて学会に行くなんてことはないけれども、大学院進学を考えている学生さん、大学院生の皆さんは、指導教員の方から学会の情報などを集めて、積極的に参加してみてはどうだろうか。

 さてさて、学会で行われた発表の中で、専門分野ではないが気になる発表の一つに「LD」、つまり『学習障害』に関するものがあった。僕は教育大学の出身ではあるが、学習障害について学んだことはない。心理学の分野では講義があったのかもしれないが。直接学習障害について耳にしたのは、塾の講師をしている友人からのことで、もう7年位前のことになる。彼の働いている学習塾には、学校の授業の理解が困難であるという学習障害をもつと思われる子供達が通ってきていたらしく、当時、いい本はないかなあと相談を受けたことがあった。僕の認識不足でしかないのだが、日本語教育という場に学習障害の話題が出てくるとは思わなかった。なんでそんな先入観を持ったかというと、結局のところは想像力の欠如でしかないわけだ。
 視野が広がったことに感謝している。

 他にも、本学の大学院で研究を進めている院生が関心を持つようなテーマが多かった。広島の公立小・中学校でも外国人子弟が一定数在籍しているので、その子供達に対する教育について関心が高い。そういう意味では、今回予稿集や資料を抱えて帰ったので、少し、参考になるものが見つかるかもしれないと思っている。

 余談だが、帰りの飛行機は参った。羽田空港の滑走路に入った時点で、雷雲のために待機という状態になったわけだ。椅子に縛り付けられたまま2時間近く待ち、広島に到着したのは午後10時近くだった。予定では8時ころだったのに。そのあと臨時のリムジンバスに乗って帰ってきたのだが、今日はちょっとしんどい。今週中に論文を送らなくちゃならないし・・・ふぅ。

5月24日(金曜日)

 今日も穏やかな一日になりそう。といっても、今月末締め切りの論文はまだ一通り書き終えていないのだから始末が悪い。書いているうちに新たな疑問が湧き出してきて、調べ始めるといったことも多い。こういう作業というのは、推理小説を読み解いていくような感じがしてドキドキする。この時間だけは、人に譲りたくないと思う。おそらく研究している人はみんなそうなんじゃないかなあ。ただ、今回投稿する論文では、締切までに解決できそうにない。謎が多すぎて。

 どうでもいいことだが、4年生の皆さん、卒業論文のほうはどうですか? 他の先生方の研究室を覗くと、就職試験がどうだったとか、面接の時にこんなことを聞かれたとか、そんな話題はよく耳にするんだけど、卒業論文が話題になっていることは少ないようだ。今のうちに資料の請求は済ませておいたほうがいいと思うんだけどな。とりあえず、関心のあるテーマの先行研究を調べて、その所在を確認して、附属図書館にあればコピーを採っておく、なければ文献複写の依頼をしておく。1日かければ、かなりの数の論文を集める準備ができるはず。2週間後くらいに、図書館に顔を出せば、参考文献のコピーは整っているという具合で、効率はいいはず。就職活動が一段落した時に収集をはじめると、手遅れになるかも。
 あと、指導教員との連絡は密接に。就職活動が忙しいからといって全然姿を見せないなんて事のないように、ね。

 さて、僕は明日から東京へ行きます。日曜日の夜には戻ってきますから、ホームページの更新は滞らないと思うんだけど。学会シーズンは、日程が重なることも多く、どの学会に参加するかを決めるのが頭痛の種。春はまだいいけど、秋なんかひどいことになるのが毎年。入会してから、一度もいけていない学会があるというのは、でもちょっと問題かも。
 大学院進学を考えている学生さんは、時間があれば、近隣で開催される学会に顔を出してみるといい刺激になると思いますよ。発表を聞いているうちに、興味深いテーマに出会えるということもあるし。
 

5月23日(木曜日)

 昨日は研修日ということで、自宅で論文を書いていた。毎週、定期的に自分の研究に没頭できる時間が取れるというのは、何にも増してありがたいこと。おかげである程度計画どおり、調査や論文の準備などがすすめられる。大学でも研究室をいただいているのだから、没頭できるんじゃないかという疑問も当然沸いてくると思う。確かに、資料や参考図書などのほとんどを研究室に持ち込んでいるわけだし、パソコンも研究室に置いてあるのだから、何もなければ研究室のほうが進むと思う。でも研究室にいると何やかやと雑用が流れ込んでくる。トータルで考えれば、数時間の自分の時間は確保できるかもしれないが、それが20分刻みになってしまうと、調べ物も、考え事も、まとまらないというのはわかっていただけるのではないだろうか。
 ということで、この研修日は非常にありがたく使わせていただいている。正直なところ、昨日は、テーマとしている問題についてかなり多面的に考えることができたと思う。

 さて、話は変わるが、ワールドカップが近づいてきて、いろいろと騒がしくなってきた。静岡県では担当者が自殺したというつらい話もあり、チケットの到着が遅れて現地で手渡しになりそうだとか、キャンプを張るチームが予定日になってもこないとか、悪い話ばかりが目に付く。加えてフーリガン対策で学校を休みにするとか、警備にあたる警察官の装備を重装備にするとか、この手の大会を日本に誘致することに批判的な立場に立っている僕としては、憂鬱な毎日。だって、誘致合戦といった時期には、こんなマイナス面は全くといっていいほど報道されてこなかった。マイナス面がないかのような報道に踊らされるほうも踊らされるほうだが、それを説明しきれないまま誘致に踏み切ったというのも大きな問題だ。キャンプにやってきているチームとの練習試合のチケット販売で誘致費用の一部をまかなおうとしていた自治体はチケットの売れ残りに頭を悩ませているとか言うし。東京オリンピックの時とは随分違って、人々の関心の持ち方は様々になっているのだから、一つのイベントで日本全体が沸くということはもう無理なんじゃないかなあ。
 キャンプの誘致費用に、自分の払った税金が使われるというのも腹が立つし。そんなために払ったんじゃないって。
 どうでもいいことだが、税金を払う時に「○○使用希望」というように、自分が何に使ってほしいかを指定して支払うというのはどうだろう。そうすれば、実際に納税者が必要だと思うところにお金が回るような気がするんだけど。

5月21日(火曜日)

 図書館の方から、文献検索ガイダンスの出席者が例年より少なめとの話を伺った。文献検索ガイダンスについては、アジア文化コースのホームページでも案内しているし、学内の掲示もあるから「知らない」ということはないと思うのだが。それとも、今年の1年生は文献検索に付いては高校時代に鍛えられてきたのかしら。それなら問題はないんだけど。気になるのは、4年生のほう。就職活動が忙しくて参加できないというのであれば、ちょっと考えなければならない。就職活動が大学の授業を圧迫しているというのは確かによくわかる。まあ、韓国みたいに就職が決まったといって翌日から大学にこなくなるということはないけど。僕の働いていた啓明大学だけではないと思うのだが、韓国の大学4年生は、就職が決まったら、すぐ働き始めて大学にこなくなってしまう場合が多い。すでに単位を取りきっている学生が多かったから、実際に卒業がどうこうなるということはなかったんだけど、ちょっと複雑な思いがしたのを覚えている。

 思い出したついでといってはなんだが、、僕が勤めていた時期に、啓明大学の卒業生が飲み屋をはじめたという話があった。「トンチプ共和国」という店名なのだが、「共和国」という言葉がひっかかって営業許可が出ないという話だった。「共和国」といえば、北朝鮮を指す言葉だからだ。外国人としてその場にいれば、笑い話にしかならないのだが、これもなんとも複雑な思いをしたことだった。

 さてさて学会の案内や研究発表の募集案内などが続々と届き始めた。昨日は、韓国の大学院で研究しているという日本人学生からメールをいただいた。ここに勤め始めてから、気がつくと多くの方から問い合わせをいただくようになっている。僕なんかより、もっと研究を進めている方は多いのだけれど、結局皆さん、インターネットでの検索で僕のホームページを見つけてということらしい。そういう意味では、僕が関心を持っているテーマについて勉強をはじめる手がかりになるページになっているということで、うれしく思っている。ただ、更新状況を見ていただいている方にはすでにわかっていただけていることなのだが、研究の解説コーナーは、全く進んでいない。やはり、この「助手さんのひとりごと」のようにあまり考えることなく書き連ねることができるページの更新とは違って、最低数日間はこれだけに取り組む時間がほしい。今は、大学の仕事や自分の論文、発表の準備に追われていてそれどころではない状況。もし、楽しみに待っている方がいるとしたら、非常に申し訳ないと思っている。

 それにしても、と思うのは、このインターネットの発展により、研究者は学会発表や論文発表にとどまらず、自分の研究を世に問うことができるようになっている。もちろん、玉石混交といった状況を招く恐れはあるし、実際招いているのだが、そうはいっても、自分と同じ関心を持っている人、自分と同じ問題意識を持っている人を探し出せるという意味では、非常に便利だ。

 ホームページを解説してうれしかったのは、僕のホームページを見て意見を寄せてくれる人と出会えること。メール交換だけの方もいれば、学会で実際にお会いして話ができた方もいる。自分が何をしているのかを積極的に表に出していけば、いろんなところで輪がつながるみたい。

5月20日(月曜日)

 先週末のオリゼミ、初日のドッヂボールや2日目のバーベキューなど、楽しく過ごすことができました。もう少し、1年生と話ができたらなあという心残りはあるのですが、オリゼミ委員の皆さん、本当におつかれさまでした。アジア文化コースの掲示板にも書いたのだけれど、2日目の自由時間では、草鞋作りに夢中になって集合時間に遅れてしまい、皆さんにご迷惑をおかけしました。
 さてさて、オリゼミでバーベキューに出発しようかという時に、知り合いからウィルスに関する情報をもらった。いわく、「○○というウィルスに感染したようなので、チェックして下さい」というもの。集合時間を横目でにらみながらチェックしてみると、知らされたものが見つかったわけ。大騒ぎで、情報教育センターに知らせて出かけたのだが、戻ってきてみると、ウィルスメールそのものがデマ。人騒がせな話なのだが、僕に知らせてくださった方もデマに踊らされたわけだ。とはいえ、ウィルスに関する情報は些細なものでも知らせてもらえたほうがうれしいからね。もう少し時間があれば、自分でネットで話題になっているかどうか、ウィルス対策のホームページでチェックしたんだけど。ということで、ドタバタしていた先週末は、ホームページの更新もできませんでした。
 週末は、いつものように娘と散歩に出かけたのだが、昨年度の卒業生が就職している書店に顔を出した。学生時代とはやはり打って変わった表情で働いているのを見て、驚いたというと失礼なのだが、まあ、驚いたわけだ。真摯に働いている姿を見て、いい仕事をしているんだろうと思った。
 そうそう。大きなニュースとしては、娘がとうとう歩いた。歩いたといっても、わずか2歩、足を踏み出したというだけのことなのだが。1歳3ヶ月でというと遅めなのだそうだ。でも僕も妻も娘は娘のペースで成長していってくれればいいと思っているから、そういうことには無頓着なわけ。

 えっと、今週末は日本語教育学会春季大会に参加するため、東京に出かけてきます。今回のシンポジウムは日本語教育史研究に関する話題なので、注目している。ゆっくりできないので、調査などの予定は入れられないのだが、久しぶりの参加なので楽しみにしているところ。教えていただいた先生方にもお会いできるかな?
 

5月15日(水曜日)

 附属図書館から、文献検索ガイダンスの実施について連絡があった。学内掲示にも出されていることだと思う。学生の皆さんにはぜひ参加してもらいたい行事の一つだ。というのも、毎年卒業論文の中間報告会直前、いやいや卒業論文提出直前になっても資料が見つからない、探し方がわからないという学生が数人いるからだ。就職活動で忙しいということがあるかもしれないが、4回ある日程のうち、どれか一つは顔を出してもらいたいもの。

 大学に来て、必要な資料の集め方を知らないというのは恥ずかしいこと。そのことを最初に聞いたのは、僕が学部に入学した時のガイダンスでのこと。でもその時はそんなことを真剣に考えていなくて、その後、結構大変な思いをしたことを覚えている。当時とは違って、ネットでの検索が気軽にできるようになった今、わずか60分で説明が受けられるなら、これは聴いておくべきことだと思うのだが。一生の財産になるし。

 いらなくなったという本を多数譲っていただいた。自分の研究に直接結びつくもの、つかないもの、こんなものどうするんだというもの、いろいろ。研究室の本棚が3段、新たに埋まった。整理しなくちゃと思ってはいても、本は増えていく。『最近入手した書籍について』に反映するのはしばらく後にことになりそうです。入手したものは、フランス語学関係、辞典類、戦前の政治、教育を扱った資料集、回顧録、です。

5月14日(火曜日)

 昨日家に帰ると、妻が散歩の途中で娘と遊んだ川沿いの公園で娘が見つけたといって四葉のクローバーを2本くれた。いいことがあるかも。で、昨日はちょっとうれしい一日だった。仕事のほうも比較的少なく、今月末が締め切りの論文を書く時間が随分割けた。今日もそうだといいんだけど。って、四葉のクローバーのご利益が、昨日と今日の論文を書く時間確保で終るのはいやだなあ(笑)。

 このホームページをご覧になっている方は、この『助手さんのひとりごと』や『最近入手した書籍について』のページしか更新されていないということをお感じになっているかもしれない。研究業績のほうも、年に2〜3しか増えていないのだから、情けないのは確かだ。研究の解説を書き進めようと思いはしても、なかなかまとまった時間が取れないため、開店休業中の状態。なんとかしなくては。

5月9日(木曜日)

 日ごろからお世話になっている韓国の書店の方が出張していらっしゃった。数ヶ月に一度、本学を訪ねてくださる。日本の大学や地方公共団体の持っている図書館の蔵書を見ると、韓国・朝鮮の書籍があまりにも少ないというのがいつもおっしゃることである。そういう意味では、今、韓国に関わる研究を進めている僕たちの細かな要望に沿って本を集めて送ってくださるこの書店は、非常にありがたく、先方にとっても大きなビジネスチャンスになっていると思う。僕の学生時代を思えば、レートに準じた費用で送料が実費というのは、とても安いと思う。今回も数十冊の本の支払いを済ませ、送っていただいていた目録の中で気になる本があるという話をしたところ、何ページかコピーして送るから見てほしいといってくださった。実物が見られないというデメリットも、このような配慮をしていただくと、安心して購入することができる。何にもまして、日本円での支払いが可能であるということが、公費にしても私費にしてもありがたいことである。

 話は変わるが、さっき廊下で学生に声をかけられた。大学院に進学したいという。聞けば、ある先生の講義を聞いてその分野の勉強が続けたくなったとのこと。大学院進学に限らず、一般の就職にしても、講義を聴いたことによって自分の進路を選ぶという話を聞くのは大学で働く一人としては非常にうれしいこと。それにしても、僕がこの大学に来て今年が3年目になるのだが、毎年何人かの学生が大学院に進学したいのだが、と相談にくる。高校までの勉強と違って様々な分野の自由な研究と、先生方の研究の成果を聞いているうちにワクワクしてくるのだろう。僕もそうだった。彼女が関心を持っている分野というのは、僕のやっていることとはかけ離れていることではあったが、出来る限り相談には載りたいと思っている。そういえば、韓国に留学したいという学生や、日本語教師になりたいという学生も時々訪ねて来る。やりたいことがあるというのは、とても幸せなことだと思う。5月病なんて関係ないって感じだし。とはいえ、その一方で何を勉強したらいいのだろう、と相談にくる学生もいる。多種多様な授業があるということは、学生にいろんな関心を持たせる一方で、どっちつかずの印象を与えるという面もあるのかもしれない。僕は話しベタだし、今は風邪気味で輪をかけて話すことがわけわかんないとは思うけど、まあ、煮詰まってしまう前に話をしにきてくださいな。何か見つかるかもしれないし。

 さてさて、今月末締め切りの論文、ちょっと煮詰まってしまった。昨日の研修日もどう話を展開させようかということを一日中考えて過ごしたのだが、うまくまとまらない。なんとかしなくちゃ。だって、来週の木曜日・金曜日はオリゼミで、おそらく来週末から再来週にかけては筋肉痛でそれどころではなくなるだろうから。再来週末は学会。そして5月末になる。今週末が勝負。がんばらなくちゃ。 
 

 5月7日(火曜日)

 連休中、広島市内で開催されたフラワーフェスティバルに初日と最終日でかけた。でかけたといっても、あれだけの人ごみ、パレードなどをゆっくり見るわけでもなく、人の後ろ頭を見に行ったというのが正しい表現かも。今回、露店ではじめてみたのはダーツだった。今までは輪投げや空気銃で景品を狙うというものが多かったようだが、今回はダーツのお店が多かった。輪投げや空気銃のお店はなかったんじゃないかなあ。りんご飴のお店では、りんごに限らず、いろいろなクダモノの飴が売られていた。これも今回はじめてみたような気がする。
 いつも見かける金魚すくいでは、弱い紙300円、強い紙500円と書かれていてびっくりした。2種類要しているんだというのも驚きだが、最近は500円もするんだねえ。と、僕は今までモナカをつかった金魚すくいしか経験したことがないのだが、地方差があるのだろうか。妻の実家に昨年の夏遊びに行ったとき、近くのお祭りでやっていた金魚すくいも紙だったから・・・
 何か情報をお持ちの方、是非教えてください。
 お祭りといって、僕が子供の頃みんなが盛んにやっていたのは「カタヌキ」だったのだが、全然見かけなかった。もう廃れてしまったのだろうか。そう思うと、お祭りの露天の思い出、というのは世代・地域によって随分違うのかもしれない。

 どうでもいいことだが、最近自分の年齢がわからなくなることが増えた。1969年生れだから、今年の誕生日に33歳になるわけだ。さっきも、友人から研究助成金の申請について連絡を取り合っていたところだが、自分の年齢が資格外なのか資格内なのかわからなくなってしまった。別に隠すわけではないので、自分で自分の年齢がわからなくなるというのはなんとも不安な気持ちにさせる出来事ではある。

 留学生向けをはじめ、一般学生向けの奨学金応募の掲示が盛んに出され、僕の知っている留学生は応募資格を満たすもの全てに申請をしているという。先ほど、その中の二人が奨学金決定の通知が届いたと報告をしに来た。景気が悪い状況で、企業の奨学金などは減っているという話だが、広島の某企業は社会的役割であるという認識で、毎月かなりの金額を50名の留学生に支給しつづけている。国際交流事業は、流行り廃りがあってはならないものであるという認識が育っている企業ならではの活動である。こういう奨学金活動を行っている企業に対しては敬意を抱いている。
 本学で学ぶ留学生は、地域の皆さんに支えられ、また、事務局のスタッフや先生方のフォローにより、楽しい学生生活のスタートを切れたようだ。
 海外で「外国人」としての経験をした一人として、このような周囲の皆さんのご協力を非常にありがたく思っている。
 

5月2日(木曜日)

 言語学を学んでいない人にはやはり意外な感をもたれるらしい。というか、話のマクラにキリスト教、ユダヤ教の神様の名前はわかっていないんだという話をすることがある。ミステリアスで面白いでしょ? すると、じゃあ、エホバとか、ヤハウェとか、そう呼びあらわしているのはなんなのか、という話になるのだが、タネを明かせば何もそんなにミステリアスなわけでもなく、単に古代ヘブライ語などは母音を書き表す習慣がなかった、というだけのことなのだ。つまり、古代ヘブライ語で書かれている聖書などには神の名は単に「YHW」という子音だけが記されていて、それにどのような母音を付けて発音していたのかが今日ではわからなくなっているというだけのこと。こういう子音を表す文字しかもたない言語というのは結構多い。調べてみると面白いですよ。
 何で急にこんな話を、というと、これもまた単純な理由で、イスラエルとパレスチナの紛争・戦争で中東が話題に上ることが多くなったから。
 文字の話になったからついでにいうとセム系諸語の文字は母音を表さない場合が多い。ペルシャ文字でも、コーランの普及という側面から母音記号が新たに考案されたという。13世紀頃には定着し始めたらしいが、コーラン以外ではやはり母音記号はつけないことが多いという。

 本学の先生方と、エレベーターの中や食事をご一緒したりする時に、ご専門の話を伺うことがよくある。やはり個々の先生方が先端でなさっているご研究の話は面白い。今まで見過ごしていた些細なことが、見る間に大きな問題意識となって目の前に現れてくるわけだ。一種のカルチャーショックといってもいい。自分が知らないことを教えてもらえるというのは、何歳になっても楽しいもの。自分が知らないことを自分の力で探し、考え、まとめる作業はやり遂げたことのある人でなければわからない充足感が味わえる。一人でも多くの学生にそんな気分を味わってほしいと思う。この連休中に、暇つぶしにと買った本が人生を決めるかもしれない。僕は自分の博士論文の中の大きな部分を書くきっかけになったのが、ふと手にとった本に書かれていた言葉だったという経験があって、ちょっとした運命論者になっていたりするわけ。

 そういえば、この前学生が訪ねてきて、本は多読するほうがいいですか、精読するほうがいいですかというなんとも答えにくい質問をしてきた。即座に頭に浮かんできたのは、法然(だったかなあ)の念仏問答の話。念仏は一度口にする一念がいいのか、何度も口にする多念がいいのか、という問いと重なるような気がして。

 さてさて、明日から4連休。とりあえず、僕は娘を連れて毎日どこかへ出かけるつもり。フラワーフェスティバルの会場で見つけたら声をかけてくださいね。かわいい娘の自慢をさせてもらいます(笑)


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