助手さんのひとりごと

2001年6月30日までのものは、こちらに移しました。

2001年8月30日までのものは、こちらに移しました。

2001年10月30日までのものは、こちらに移しました。

2001年12月30日までのものは、こちらに移しました。

2002年2月28日までのものは、こちらに移しました。

2002年4月30日までのものは、こちらに移しました。

2002年6月30日までのものは、こちらに移しました。

8月23日(金曜日)

 今日でホームページの更新を終え、ホームページは閉鎖。開設以来2年半余り、多くの方に訪ねていただけた。本当にありがたいことだと思っている。
 お礼の言葉は次から次へと浮かんでは来るものの、さっきから何度も書いては消し書いては消しをしている。なかなか満足行く言葉が出てこない。

 学生時代から数えると、女子大は僕が過ごした五つ目の大学ということになる。韓国の啓明大学は比較しにくいとしても、日本国内の4つの大学はそれぞれ特徴がある。また、僕の学部時代はバブル景気の最後の盛り上がりの時で、今のような不況の時代が来るとは想像だにしていなかったし、まして大学がこのような時代の影響を直接受けるような社会になるなんて思いもしなかった。そういう時代の流れを学生、院生、教員というそれぞれの視点から見ていられたことは、ひとつの財産だろう。
 ただ、僕は修士課程に入る前に1年浪人したことを除けば、大学という組織の中で18歳以降過ごしてきたわけで、大学の外のことはほとんど何もわからない。そんな大学しか知らないという自分の視野の狭さに、ときどきぞっとすることがある。何のかんの言っても、僕は価値観というか、判断基準というのは、その人の生活してきた環境が育てると考えているので、視野は広いに越したことはないと思う。日本以外の国で生活したことがあるとはいえ、それが韓国一カ国であるということも、不安を増す要因ではある。
 自分の判断が常に正しいとは限らない。誤りを最小限にするためには、その問題をいかに多くの視点から検討していけるかということが重要。そのためには自分に様々な経験を課すことが必要不可欠。

 そういった意味で、女子大での2年半はとてもいい経験になった。学内に女子学生しかいないという状況に向き合うのも初めてだったし、僕よりも一回り年下の学生がどんなことに興味をもっているのかということを知る機会を得たのもよかった。卒業論文のテーマについて話をしているときに、思いもよらなかった問題意識を持っている学生がいたりしたのも、とてもいい刺激になった。

 どうでもいいことだが、今年は年末に韓国の大統領選挙がある。金大中が選出された選挙戦は、僕は韓国から帰国する直前の送別会の真っ只中にあった。開票速報は送別会の会場で見ていたことを覚えている。あれからもう五年。帰国して、学位論文を提出して、結婚して、就職して、娘が生れて。五年というのは、結構な長さだ。その間、多くの人に知り合え、日々楽しく過ごすことが出来たことは非常に恵まれていたと思う。

 新しいホームページを開設した際には、Yahooなどの検索で引っかかるようにしたいと考えていますので、よろしくお願いします。

 ありがとうございました。

8月22日(木曜日)

 それにしても涼しくなった。これくらいの気候だとエアコンをつけずに窓を開放しておくだけで、快適に過ごせる。本当はゆっくりとリクライニングシートに座って本でも読みたいところなんだけども、そんな時間もなくあわただしく過ごしている。
 昨日は家の引越しが佳境に入った(今週日曜日が予定日)こともあって、キッチンとリビングが大変な状態だったので外食することにした。ファミレスにいったんだけど、メニューを見てちょっとびっくりした。いや、メニューが変わっているというのではなくて、娘に食べさせてもいいかなと思うメニューが結構あるということ。娘も大きくなって、食べ物も大人のものを少しやわら目にするというだけで同じ物を食べられるようになったからなのだが、こうして一つ一つ手間がかからなくなってくるのだなあと当然のことかもしれないんだけど感心したりびっくりしたり。

 引越し荷物の作り方を見ていると、僕と妻の性格の違いがよくわかる。妻は箱に何が入っているかを書きながら、そして分類しながら本にしても服にしても詰めていく。一方の僕は、どさどさと箱に詰め込んでいくので、開梱する時に大変なことになる。ま、少なくとも、荷造りが早く片付くのは僕のほうなんだが。もちろん、「混沌」を新生活に持ち込むというデメリットはある(笑)。

 さてさて、明日でこのホームページは閉鎖することになる。
 明日以降のことを少しかいつまんで書いておきたい。
 ホームページの「閉鎖」そのものは、8月30日になる予定。これは、サーバー上からホームページを削除する予定という意味だ。明日の更新を最後に更新は行なわない。

 

8月21日(水曜日)

 いわゆる住基ネットの番号通知が世帯主あてに家族分届けられてからもう時間が過ぎたのだが、何度考えてもおかしい。これは個々人に送るべきものであって、世帯主に送るものではない。もうひとついうと、単なるハガキで済ませるのではなく、カード状のもので送るべきだ。問い合わせたら、来年からカードを希望者は取得することができるというが、そんな二度手間をかけることはない。最初からカードを個々人に送れば済む話だ。間に合わないんだったら、準備できてからスタートすればいいわけで、大騒ぎして導入した割に現段階ではどうも誰にもメリットが認められないような気がする。
 役所での手続きがこの番号を書くことだけで済むという話だったが、実際に現段階でこの番号が利用できる部分は非常に少ない。今回転居するからと住民票の異動の手続き書類を妻がもらいにいったのだが、まだこの番号は利用できないという。これも来年から。もっとも、番号を書けば済むはずなのに、きっと多くの役所では『念のため』と称して今まで記入させていた情報も記入させるに違いない。郵便番号もそうだった。
 もっとも、こんな番号で自分の情報がすべて管理されるのには抵抗を感じるし、役所の方を疑うわけではないが、自分の全情報が人目にさらされるということにはかなりの拒否感がある。最近、シュレッダーがよく売れていることもプライバシーを守ろうとする意思の現れだと思うし。情報保護に関する法律は成立しなかったのに、この住基ネットだけは予定通り動き始めている。かなりいやな気持ちがしている。何もかもが後手後手じゃん。

 それにしても、と思う。ここ10年の間に一人一人が管理しなければならなくなった数字や文字、記号はかなりの量になる。例えば、電話番号。携帯電話を持って、職場の電話があれば、これで3つの番号を管理することになる。メールアドレスとパスワード、プロバイダーへのログインパスワード、金庫のナンバーなど、僕のように物忘れがひどい人間は散々な目にあっている。実際、迷惑な話だと思われるだろうが、フリーメールなどではパスワードどころかメールアドレスそのものを忘れてしまうことがあって(特別な用途で利用するため、ある期間を過ぎたら利用しなくなる)、にっちもさっちもいかなくなることがある。

 さてさて、集中講義は2日目。今日の広島はちょっと雲があるかな。

8月20日(火曜日)

 今日から集中講義が始まる。今月の集中講義は後2つ。学生がどれくらい来ているかがちょっと気がかりなのだが、本学の学生は自宅生が多いということもあるし、根がまじめだということもあって基本的には8割近くの学生が出席しているようだ。時々、受講登録していること自体を忘れてしまっている学生がいるのはご愛嬌かも。

 どうでもいいことだが、今引越しの準備をしていて、家は大変な状態。というのも、妻や僕が箱に荷物を入れていると、娘がにこにこと近づいてきて中のものを引きずり出したり、思いもよらないものを中に放り込んでいたり、自分ではこの中に入ろうとしてひっくり返って泣き出したりと、近頃、近所から『虐待しているのでは』と思われるくらい。子供が泣くわ泣くわ。叱ってもわからないかと思っていたのだが、どうやら、叱られたということだけはわかるようで、目をそらしてお気に入りのぬいぐるみを抱え、綿毛布に包まって部屋の隅っこで転がっている。荷造りが一段落したら、ひざに座らせて絵本を読んでやるのだが、なんというか、トラウマが出来ないかしらん。
 ただ、救いといえば、最近は明かりを消したら『寝る時間』と思うようになったらしく、部屋のあかりを落とすと比較的おとなしく横になってくれる。

 引越しがらみで話が続くが、ゴミの始末が大変。定められたゴミの日に一生懸命出すんだけど、引越しの後どうしてもゴミが出るでしょ?あれをどうしたらいいのかというのが悩み。車があれば、処分場に自分が持ち込めば済むんだけど、車がない以上、業者さんに引き取って貰うしかない。タクシーを読んでゴミをつんで出かけるなんていうわけにもいかないしね。引越し業者のオプションでゴミ処理をお願いするか、市の指定の業者さんに引き取って貰うかは、どれくらいゴミが出るかということを考えた上でのことになる。目下の悩みはこれ。

 悩みというと、引越し先の家によって備わっているものが違うことがある。例えば、ガスコンロ。ガスコンロがシステムキッチンに組み込まれている家もあれば、ガスコンロは自分で準備しなければならない家もある。ガスなんて、済むところが違えば都市ガス、プロパンと異なっているのは仕方ないにしても、ガス会社によってその都市ガスの種類ですら何種類にも分かれているので、ガスコンロは引越しの際には処分するほうが安く上がることが多い。以前、ガスストーブを使おうと前と異なったガスに対応する器具に変えていただく作業をお願いしたら、器具自体は100円もしなかったようなのだが、工賃や出張費等々の名目で結局8000円近いお金を払ったことがある。あれ以来、ゴミが増えるという問題があることはわかっていても、買い換えるほうが安いという魅力には勝てないでいる。

 僕は大学に入った18の時から15年足らずで、9回目の引越しになる。そろそろ落ち着いて暮らしたいと思う一方で、いろんなところに住んでみたいなあという気持ちもある。一つの都道府県に1年ずつ暮らしても47年かかるでしょ。山口、愛知、富山、広島、韓国大邱(大邱でも引越しを経験)。どの町にも暮らしやすいところ、暮らしにくいところがあって、ゴミの分別も違えば役所の対応も違う。子供が大学に入って別居するようになったら、それまでに暮らした中で一番暮らしやすい町で暮らすのがいいなあ。

 特に高齢者の対策がしっかりしているところがいい。そうなると、そうは言っても大都市になるのかしらん。まあ、もう20年くらいは考える時間はありそうだ。どうでもいいけど。

8月9日(金曜日)

 「男のロマン」なんていうと大げさではあるが、それは「うずらのたまご」ではないかと思う(笑)
 いや、かた焼きそばを食べる時も、八宝菜を食べる時も、うずらの卵が入っていないと僕はどうも落ち着かない。自分で作る時にはもちろん入れるし、妻が作る時もうずらの卵だけはきっちりと要求し、めんどくさいというようなことをいわれると自分でゆでて準備しておく。人が聞いたらなんでもないことなのだが、うずらの卵は重要なポイントだと思う。

 桃の季節になって、妻の実家から桃が届いた。この桃がまたおいしくておいしくて。もう普通のスーパーの桃は食べられない、というくらいおいしい。困るのは、娘がそれを実行すること。というか、より拡大して実行すること。つまり、送ってもらった桃以外は食べないという態度をとるわけ。御飯をやろうとしても、手を合わせてご馳走様の合図をして全然食べないくせに、桃の箱を指差して大声でわめく。僕は夕食の時にしかいっしょにいないから、おもしろいなあとあやしているのだが、三食これにつきあっている妻はさぞ大変だろう。核家族での子育ては、任せる相手や頼れる相手が少ないということで、かなりやっかいだ。少子化とか、子供を産みたくない、育てたくないという背景には、それに伴う様々なことが原因ではあると思うのだが、子育てに時間をとられ、自分の時間が持てなくなることに対する恐怖感というか、そういう思いはこれからますます強くなっていくだろう。年配の方々からは、自分の時は我慢したとか、自分の時はそれが当然だったとかいう話を聞くが、それを基準にして物事を考えてはならないと思う。何もかもがその当時のままであっても、個人差はあるのだから。

 面白いなあと客観的なところで見て思うのは、「自分が苦労したからあなたも苦労しなさい」という発想の人が多いということ。「自分が苦労したから、あなたにはもっと楽に過ごしてもらいたい」という発想の人って少ないよね。なんでだろう。自分が苦労した時に、その苦労で手一杯であったにしても、それを乗り越えた自分がいるのであれば、制度的なものであろうと何か工夫して、改善していくということが出来ないものか。仕事をあれもこれもと増やしてばかりではなくて、減らす方向で検討することも価値があるのだが。

 そんなこんないった所で、自分は結局自分の経験の範囲でしか判断基準は持ち得ないようだ。とすれば、経験の幅広さというのは、判断基準の公平さというか、的確さというか、そんなものを広げることにつながるのだろう。

 さて、来週は夏休みを取ります。ホームページの更新は、おそらく、8月19日以降になります。で、このホームページは8月23日で閉鎖する予定です。今までありがとうございました。

8月8日(木曜日)

 どうも僕は書類整理とか、事務処理能力が著しく劣っているようで、ファイル作りなんかが大の苦手。今月に入って、今までのファイルを整理して見やすい物にしようと取り組んでいるのだが、思ったように出来なくてちょっと意気消沈という状態。自分の研究で使うファイルだったら、とりあえず、自分が見てわかるように作っておけばいいんだけど、事務仕事のファイルは基本的に誰が見てもわかるものにしておく必要がある。それが苦手。夏休みとはいっても、いろんな事務仕事があって、大学の事務局にもよく行っているのだが、いやあ、ファイルがとてもきれいに作ってある。今更ながら、ファイルの整理をしようと思い立った過去の自分を恨んでいる(笑)

 どうでもいいけど、朝晩は涼しくなってきた。やっぱり立秋を過ぎると涼しくなるものらしい。7月末の暑さといったら耐えられなかった。夜も暑さで目がさめていたことを思えば、格段の違いだ。電気代が一気に倍に跳ね上がったのがつらい。でも、夏ばてして無駄な時間を過ごすのもいやだし、体調を崩して病院に行くことを考えたら、電気代が倍になったくらい何ともないのかも。
 

8月7日(水曜日)

 昨日は、広島の原爆記念日。朝から様々なメディアで特集が組まれていた。自分の娘が生涯を終えるまで戦火をくぐることがないか、無意味な死に直面することがないか、不条理に他人に命を奪われることはないか、そんなことを考えることが時々ある。そんな話を友達にしていて、ひとつ抜け落ちていた視点があったことに気がついた。それは、自分や自分の娘が生涯を終えるまで戦争を起こすことがないか、無意味な死を人に与えることがないか、不条理に他人の命を奪うことはないか、ということ。自分が被害者になるということばかり考えているが、加害者にならないという保証はどこにもない。

 さて、集中講義の三つ目が今日から始まった。この夏は個人的な理由で慌しく、ヌケがないかというのが非常に心配。事務局の方を初め、先生方にもフォローしていただいているので何とか回っているという状況だ。。今日から始まる集中講義は、昨年度で退職なさった大谷森繁先生の講義。久しぶりにお会いして、奈良の先生の新しい研究所の様子などをうかがった。近いうちに行ってみたいと思っている。

 どうでもいいことではあるが、僕はどうも端境期というものによく出会うらしい。で、貧乏くじを引いているというか、不便を強いられるというか、そんなことが多いような気がする。
 例えば、国民年金。僕が20歳になった時には学生であろうと月々払い込まなければならない状況になっていて、奨学金をもらいながら払っていた。苦しい時には、親に頼るしかなかったのだが、就職するまで欠かさず支払った。年金制度が危ぶまれている今、当時の生活の苦しさが報われなかったらどうしようと思ったりもしているのだけれども。
 例えば、大学院入試。最近は文系でも外国語を二つ課すところは少なくなったようだが、僕が受験していた頃は文系は基本的に修士課程も博士過程も外国語は二つ必要だった。加えて、朝鮮語で受験できるところといったらもう少なくて少なくて。それが、今では朝鮮語で受験できるところも結構増えてきて、時代の流れを感じる。朝鮮語で受験できるところが今くらい多かったら、違う人生を歩んでいたかも。
 例えば、大学入試。ちょうど僕が高校時代を送っていた頃、バブル景気のふくらみと合わせて私立大学の評価が高くなっていった。授業料が高いとはいえ、成績によっては授業料は免除され、奨学金ももらえるという大学もあったから、もう何年か後に受験していたら、私立大学受験をしていたかもしれない。僕は国立を二つ受けただけだったから。だけど、大学入試っていえば、共通一次試験も僕の次の年が最後になっていて、受験に失敗したら制度が変わって大変なことになるとえらく不安をあおられた覚えがある。
 例えば、地域振興券。娘が当時生れていたら、幾ばくかの生活費が援助してもらえていたのだが。
 例えば、住基ネット。今月末に引越しを控えていて、郵便が行き違いになったりしないのかと不安でならない。書留で送ってくれるのならいいけど、なんか、トラブルが起こっている自治体では経費をケチっているようだし。
 例えば、運転免許の更新。7月末が期限で、8月末に引越し。また住所変更の手続きでドタバタしなくちゃならない。
 例えば、パスポート。僕が作った数ヵ月後に10年パスポートが登場。最初のパスポートは青色の五年モノだった。
 例えば、教員免許。僕の年で制度が変わったので、僕は専修免許に必要な基本単位が足りない。
 例えば、小学校の算数。僕の上の学年と下の学年は2進法を習っている。僕の年はどういうわけか習っていない。で、いまだに2進法がよくわかっていない。理屈はわかっているし、ゆっくりやれば出来るんだけど、ぱっと変換できるような状態ではないと言うことで。
 例えば、韓国の外国人登録証。僕の年まで手帳タイプ。翌年韓国にやってきた妻は、ラミネートされたカードタイプ。なんか悔しい。
 例えば、韓国で働く時の契約。僕の前任者までは週10コマだったのに、僕から週12コマに。。

 妻は7月20日海の日が制定された時、韓国にいたため、いまだに7月20日が休日という感覚がない。
 僕は韓国にいる間にデビューした芸能人なんかがいまだにうまく把握できなくて、テレビを見ていてちょっと変な気持ちになる。
 ま、どうでもいいんだけどね。

8月4日(日曜日)

 昨日はオープンキャンパス。会場への誘導で入り口に立っていて思ったのは、例年よりも父兄との参加が多いようだということ。それと、模擬授業を聞きに来た高校生の数がいつもよりも多かったよう。最近は、高校へ大学教員が出向いて講義を行ったり、大学に高校生を受け入れて講義を行ったりすることも増えてきたので、僕が高校生の時のように大学の授業ってどんなものなんだろうと疑問に思ったまま入学するということは少なくなったのだろう。とはいえ、インターネットを利用するという方法で大学のことを調べている高校生はまだまだ少ないようで、オープンキャンパスはいろんな情報を提供し、実際の大学を見てもらうという意味では意義深い催しなのだろう。

 今日は日曜日なのだが、集中講義もあり、自分の片付けておかなければならない仕事もてんこもりということで、大学に来ている。日曜日の大学というのは、ひっそりしている。当然と言えば当然なんだけどね。

 時々だが、日曜日に大学に来ると、建物のメンテナンスをしてくださっている管理会社の方々が忙しく働いていらっしゃるのを目にする。例えば、今日は空調のフィルターの取替え作業を朝の8時頃からなさっているようだ(もっと早くからかもしれないけど)。頭の下がる思いだ。こうやって学生のいないとき、教職員のいないときを見計らって作業をしてくださるおかげで、普段の学校生活が不自由なく送れる。僕もそんなにわかっているわけではないのだが、どれくらいの学生が、こういった見えない部分について考えているのだろう。廊下の掃除も、演習室の掃除も、部屋のゴミ箱のゴミの後片付けも、誰かがやっている(時には教員や事務局の方が)わけだ。やれといっているんじゃなくて、ただ、誰かがやっているから自分が快適に過ごせているということを少しでも意識していてほしいなということ。

 先生方の講義も同じで、僕が仕事で先生方の研究室にお邪魔すると、よく机の上で参考資料作りをなさっている場面に出くわす。写真のコピーを切り抜いて、必要な個所に貼り付けるという時間のかかる作業を丁寧になさっている。おそらく、授業の時には、学生はそんなこととは思わずに資料を受け取っているんだろうなあ。事務の方の仕事もそう。僕が困って電話をすると、丁寧に整理されたファイルから必要な情報をすぐに取り出してくださる。これも普段、僕の知らないところできちんと仕事をしていらっしゃるから出来ることだ。当たり前のことかもしれないが、その当たり前を生み出す努力は日々の積み重ねに他ならない。

 さてさて、8月15日までに学会発表の原稿を作らなくては。なんか、忙しい時には何もかもやってくるんだよね。ま、うれしい悲鳴と言うことかしらん。

8月1日(木曜日)

 今日から集中講義が始まった。と同時に、夏休みも始まったわけだ。学内には学生の姿はほとんどなく、補講の授業がいくつか行われているようではあるが、全体的にはのんびりした感じ。今週の土曜日にはオープンキャンパスが行われるので、今はその準備に追われている。実はこの他にも、個人的な事情から生じる厄介な大仕事があったり、8月の半ばが締め切りである学会の予稿集の原稿作りが待っていたりと、そんなにのんびりはしていられないと言うのが、僕の事情ではある。
 体を壊さないように一つ一つこなしていかなければならないのだが、なんとも忙しくて。先月末に注文していた本が続々と届き始めたのだが、この様子ではしばらく読む時間はなさそう。といっても、読まなければ原稿も書けないし。
 まあ、こんな愚痴を書いていても仕方ないんだけどね。

 今日、大学院時代の後輩が韓国に向けて出発した。5月末に帰国していたのだが、追加調査というか、当初の予定通りに再び韓国に渡って、いろいろな調査をしてくると言う。最近、僕の所属している複数の学会の懇親会の席でよく話題になるのは、現地での留学や研究経験の有無。短期間の調査では到底把握できないものがあまりにも多い。韓国の日本研究者なんて、10年の日本滞在なんてざらだから、僕のように2年足らず韓国に滞在していたくらいでは、何にも知らないのと同じ。時代が変わりつつあるのか、既に変わっててしまっているのに僕が気付くのが遅かったのか。

 いつも自分がその渦の中にいると気がつかないということは多い。というか、渦の中にいることにすら気がつかなくて、自分の周りが全てだと思うことは多くの人が経験していることではないだろうか。卑近な例では、高校受験や大学受験に失敗して自殺を考えるということも、その時期を過ぎてしまった人間からはそれほどのことなのかと思う一方で、当事者にとってはそれが全てであったりするということ。
 僕が大学院の受験に失敗した時はやっぱりそんな思いだった。いや、死のうと考えたと言うわけではなくて、そのこと自体を自分の中で消化し切れなかったというのが正しいとこかもしれない。ぼーっと半年くらいアルバイトをしながら過ごして、その後、受験勉強を再開したが、その1年を客観的に見られるようになったのはつい最近のことのような気がする。

 さてさて、そんなこんなで、少し今の位置からはなれて自分を見てみるという作業も必要なのでは、という話。それが上手に出来ると、いらいらしたり、カリカリしたりすることも減るんじゃないかしらん。間抜けなところもよぉくわかると思うし(笑)

 

7月30日(火曜日)

 いや暑い。うちの大学は、大学全体の電力消費量がある基準を超えると冷房が自動的にカットされるという仕組みらしく(教室は除外)、昨日は午前11時頃から午後3時頃まで研究室の冷房が止まっていた。一番暑い時に冷房が切れたものだから、先生方は研究室の窓を開けてうちわで涼まれていたようだが、こんな調子では本を読む気にもならない。僕自身も、ワープロをたたく仕事をしていたんだけど、ネクタイをしている状態で機会の前に座っていると、何かの修行をしているような心地になる(笑)。
 今日は、午前10時に一旦切れたものの、11時頃に再び動き始め、ちょっとほっとしている。午後から会議があるから、なおさら。ただ、今日は昨日と比べて、幾分涼しく、また風があるため窓を開けていればそれなりの体感温度ではある。とはいえ、アジア文化の先生方が集まっている7階というフロアは、窓の外が6階までの屋根になっており、エアコンの室外機などの機械類が置かれているため、窓をあけてもそれほど風は通らない。8階、9階とは様子が違うわけだ。まあ、どうでもいいけど。

 掲示板に書いたが、8月末までにこのホームページを閉鎖する予定。閉鎖までの期間中も、更新が滞りがちになるかと思う。ご容赦願いたい。

7月29日(月曜日)

 明日で33歳。どうでもいいことだが、自分がもうこんな年になると言う実感がない。なんなんだか。

 昨日、田舎から両親が広島に出てきた。これからしばらく、毎週土曜日日曜日は来客があったり、出かけたりで自分の時間はないに等しい。なかなか忙しくなってくる。今週の木曜日からは集中講義が始まるし、今週末はオープンキャンパスだし、準備が大変。今日はオープンキャンパスの代休なんだけど、いろいろと準備が残っているので、出てきてごそごそしている。

7月26日(金曜日) 

 気がついたら、1週間ぶりの「助手さんのひとりごと」だ。
 水曜日から1泊2日で島根県立大学に研究会報告のためでかけてきた。海を臨む小高い丘というか、山の上に大学があり、大学の食堂からは広く海が見渡せる。図書館も充実しており、すばらしい研究環境だった。研究会のほうも、様々な分野の先生方をはじめ、学生も参加していたため、多様な質問が出てきたことが刺激的だった。いつも同じような研究テーマの人たちとばかり話をしていると思考方法が固定されてしまうと言うのは参加なさっていた先生のご発言だったが、それには大いに賛成だ。研究を深めると言う意味では、共通の知識を持つ人との議論が不可欠だが、予備知識なしに出される質問は、基本的なことではあっても見落としがちなものが多く、非常に実りある会だった。会を運営してくださった先生方に感謝申し上げたい。

 広島バスセンターから、島根県立大学のある浜田市までは高速バスが通っていて、往復で5200円。時間は約2時間。

 帰りにちょっと嫌なことがあった。僕は広島バスセンターで往復切符を買っていたので、帰りのバスに乗るときはバス停に並んでいたわけ。でも、他には誰もいない。バスのチケット売り場には人が結構集まっていたので、乗る人がいないわけではないということはわかっていたわけ。で、バス停の前にある冷房のきく待合室は人でいっぱい。「浜田の人は行列を作らないんだなあ」とのんきなことを考えていた僕は、日のあたるバス停に突っ立っていた。バスの到着する5分くらい前に、アナウンスがあった。いわく、「広島行き高速バスのチケットを販売しています。チケットをお求めになっていない方はお求めになり、順位券を受け取ってお待ちください」。 ん?順位券? 「順位券をお持ちでない方は、チケットを窓口でお店の上、順位券をお受け取りください」。僕は慌てて、窓口にチケットを持っていったら、順位券なるものを渡してくれた。それには数字が書かれていた。
 いざバスがきて、乗り込もうとしたら呼び止められた。話を聞くと、順位券に書いてある番号順に乗り込むことになっているらしい。で、まあ、随分前から並んでいたんだけど、僕は終りに近い順番でバスに乗り込むことになったと言うわけ。こういうローカルルールがあるんなら、看板くらい出しておいてくれてもいいのにね。順位券を配布するということ自体は、炎天下に行列を作らせないいいアイデアだとは思うんだけど、普段利用しない人間がワリを食うような気がする。

 どうでもいいけど、研究会の後案内していただいたお店で食べたお刺身がおいしかった。

 さて、来週から夏休み。集中講義が目白押し。夏ばてに気をつけて乗り越えましょう!

7月19日(金曜日)

 昨日の夜、今年度入学してきた大学院生の歓迎会と、昨年度修了した大学院生の歓送会を兼ねた懇親会が行われた。久しぶりに会う方もいて、大いに盛り上がった。当初はビアホールで、と考えていた懇親会、雨のために屋内の店舗に移ったのだが、騒がしくて、隣の人の声しか聞えない状態だった。まあ、あれぐらいにぎやかなのがいいのかもしれない。

 どうでもいいが、ホームページの更新に支障が出るほど忙しくなった。個人的な事情によるものもあるが、来週半ばの発表のためのレジュメの準備が思ったほどはかどらず、てんてこ舞い。加えて、9月のシンポジウムにお誘いいただき、10月の学会発表に申し込んでいたものが採択されたのはいいのだが、その予稿集の原稿の締め切りが8月半ば。12月にも研究会に声をかけていただいているので、ちょっと気が遠くなる感じだ。学内の行事としても、来月はオープンキャンパスがあり、集中講義がありと慌しい。今日からは研究室などの備品が帳簿どおりあるかどうかの確認作業をはじめた。なんにしても仕事が後から後からやってくる。今日ストレスがたまっていることが一つ。今まで書いた事情で、部屋を離れることがある。エレベーターを待っていると、電話の音がして研究室に駆け込む。電話に手が届くとこまで来ると電話が切れると言うことがもう何回も続いている。もちろん、エレベーターホールまで行くと、既にエレベーターは通り過ぎており、またボタンを押して待つと言うことの繰り返し。電話の内容も気になるし、仕事は進まないし、なんか無駄な時間ばかりが過ぎていっている。電話をかけてくださっている方も『何でいつも留守なんだ』と思ってらっしゃることだろう。

 これもどうでもいいことなのだが、昨日、懇親会の帰り道、あるラーメン屋の前を通った。『冷めん』と書いてあったのが目にとまった。なぜなら、「め」の文字は、張り紙がして書き直してあったから。お店の中が明るいので、張り紙が透けて見えるわけ。すると、その『め』のところだけ厚くなっているのがわかって、気になったということ。昨日はそれを考えているうちに眠れなくなってしまった(笑)。『麺』という感じにチャレンジして断念したのか?それとも、気がついたら『ぬ』になっていたのか? 手書きの張り紙を見ると、結構気になることってあるよね。そんなくだらないことを考えながらも、今日も一日が過ぎていく。ああ、何も進んでない…
 

7月17日(水曜日)

 空気が不安定なためか、今朝は雷がなるような天気だった。今はもう日が差している。
 どうでもいいことだが、少子化対策で様々な施策が検討されているようだ。男性の育児休業の取得には数値目標もいれようという話が出ているとの報道もある。数値目標を入れるということには、おかしなことになるのではないかという懸念がある。つまり、書類上育児休業を取らせておきながら、実際は出勤させているというようなことが起こるのではないかということ。ただでさえ、企業は人を減らして現場は手一杯の状況であるのに、簡単に育児休業が取れる環境が作れるかというとそんなことはない。書類上は休みを取りながらも実際は仕事をさせるということに対する罰則規定がない限り、妙なことになりそうだ。
 産休と育児休暇とで最長5年の休みが連続して取得できる企業があるという記事を昨日読んだが、実際に五年採ることができる人というのは限られている。周囲の理解があったとしても、本人の5年間仕事を離れることに対する不安というものもあるからだ。社会全体がシステムを変えようとしているのだから、いろいろなところでひずみが生じているのかもしれないが、当初の目的からそれた運用でかえってひどい目にあうということだけはないようにしてほしい。
 そういえば、ベビーカーで動きやすい街づくりというのも提言に入っている様子。うれしいな。
 

7月15日(月曜日)

 免許証の更新に出かけてきた。しかし、何であんなに不便なところに作ったのか、と?ばかりが頭の中をめぐる。バスセンターから直通バスが出ているとはいえ、免許センターから乗り込んだのは僕だけだった。日曜日に受け付けてくれるというのはありがたいのだが、やはり人が殺到していて、入り口からもあふれるほどだった。これでも8時過ぎには行っていたんだけどね。8時半からと書いてあったが、実際にはもう受付をはじめていてくれたのもありがたかった。それでも、家に帰ったのは12時前だったのだから、大変な時間の浪費だ。とはいえ、無事に更新も終って、新しい免許証をもらった。法律の改正に伴い、有効期限が延びた。いわゆるゴールドカードというやつなので、今度は平成19年の更新になる。それにしても、写真の人相がまた一段と悪くなっている。何とかならないものか。
 実は、平成9年に更新した免許証、更新してから住所を4回変更したりして、裏面にびっしり書き込みがあった。で、前に書いたと思うが、最初に変更した時の書き込みが水性ペンで書かれていたため、にじんでしまってえらく汚くなっていた。

 こんな話はどこに申し出たらいいのかわからないが、近々、更新をする予定の人は、一つ気をつけて見てほしい。更新手続きのための書類、証書を貼るA4サイズの紙なんだけど、「姓名」と印刷されているべきところが「性名」になっている。関係者の方で、このホームページをご覧になっている方がいらっしゃれば、訂正していただいたほうがいいんじゃないかな。

 誤植といえば、学部生の頃中国語を勉強していて、ある小説を読んでいたときのこと。何度調べても、どんな辞書を調べても出てこない熟語があって、困って中国人の留学生に尋ねたことがある。二つわからないところがあったのだが、一つは人名、もうひとつは誤植だった。なかなか誤植だという判断を下すというのは母語でない言語の場合は難しいよね。日本語でもただ言葉を知らないだけかもしれないとか考えちゃうくらいだし。

 台風が近づいている。今度は広島にも影響があるのかな。ベランダのものを片付けておかなくちゃ。

7月12日(金曜日)

 韓国のポップスなどをネット上で試聴できるサイトを教えてもらった。イ・ムンセという歌手の『早朝割引』という曲が好きで、韓国にいる時にはよくカラオケで歌っていた。CDも持っているんだけど、音とびをするようになって残念に思っていただけに、このサイトを教えてもらった時にはとてもうれしかった。このひとりごとを書いている最中も、ずっと聞いている。いい曲ですよ。

 免許の更新が今月末だったことをすっかり忘れていて、更新手続きについて調べてみたらびっくり。広島市内だと、必ず免許センターに行かなければならないという。時間がかかってもいいから警察署で手続きをと思っていた僕としてはショックだ。経費節減とか、様々な問題を解決するための処置かもしれないが、いくらなんでもひどい。一日をつぶすようなもんじゃない? 幸い日曜日に更新手続きを受け付けてくれるらしいので、平日に休みをとっていく必要はなさそうだが、何でこんな不便なんだろう。本来は、身近な派出所で受け付けてくれてもいいようなもの。市役所や区役所の業務は、人の集まるところに出張所を置いて受付をしているというのに、時代に逆行している。まあ、文句ばかりいっても仕方がない。この週末は更新に出かけることにしよう。

 どうでもいいことだが、先週末、町を散歩していたら、ある鞄専門店がリニューアルしていた。最初は娘に持たせるバスケットか、背負わせるリュックを見ようと入ったんだけど、品揃えはそういう方向ではなく、あくまでビジネス用の鞄だった。まあ、これは見込み違いということでいいんだけど、棚の中から僕を手招きしているかのような鞄があった(笑)。手にとって見ると、とてもとてもいいものだった。お店の人が、本皮で、表面に蝋が塗りこんでありますと説明してくださりながら、こんないい鞄がこのお手ごろ価格で、と値段を教えてくださったのだが、今僕が持っていないという告白をすればわかっていただけるように、買えるような値段ではなかった(笑)。それに、自転車につむかもという話をしたら、それならこの鞄は勧めない、もっと安いものにしたほうがいいと忠告された。良心的なお店であることはよくわかったのだが、鞄も使う人を選ぶということがもっとよくわかった。

 本当にいい品物は使う人を確実に選ぶ。食器にしても、服にしても、時計や文房具にしても。そんなことを再確認した。

 台風一過というのか、とてもいい天気。今日は暑くなりそうだ。

7月11日(木曜日)

 たびたび妻に話をしてそのたびにうるさがられるのだが、エスカレーターのもち手のベルト、継ぎ目がない。かすかな記憶をたどれば、子供の頃どこかのエスカレーターのもち手のベルトに継ぎ目があったような気がしてならない。で、しばらくデパートなどでエスカレーターの側に立ってジーっとベルトを見ているのだが、継ぎ目に出会えない。傍から見たらちょっと近寄りたくない様子に見えていると思う(笑)。それにしても、継ぎ目はないのか?あのベルトを作る段階では継ぎ目があっても完成させる過程で継ぎ目を見えなくしているのだろうか。うーむ。輪ゴムのようにチューブを作ってそれを輪切りにしているのか? 気になり始めるとどうしようもなくなる。一度、エスカレーターの製作会社のホームページでも見てみようか。

 なんともどうでもいい話を書きなぐったが、妙に気になること、というのはたくさんある。先日、電卓を買いに出かけたのだが、平方根を求める際に使う√ボタンがついていないものが意外と多いことを知った。確かに、会計などの仕事で使うことはないからそういうこともあるのかなと思ったが、ちょっと意外だった。ワンコインで買える廉価店で販売している数種の電卓にはみな√はついているから、この機能をつけることで価格が跳ね上がるというものでもなさそう。これも一つの謎だ。今、研究室で使っているアジア文化コースの備品の計算機には√はついていない。

 平方根を筆算で求める方法を中学2年のときだったか、参考書に書いてあったのを見て覚えた。このころは数学が好きだった。中学3年の時の担任の先生が、数学の先生だったので、立方根を筆算で求める方法を教えてほしいとお願いしたとき、テストで100点をとったらといわれた。実際には、その頃を境に数学の点数はなだれを打つように落ち始め、高校に入る頃には数学さえなければ、と思うようになったのだから、人生とはわからないもの。しかも、最近になって論文を書くことや調査のために統計学を押さえておく必要を痛感して本を読んでいるのだから、面白い。

 さて、7月24日の研究会のレジュメを作らなくては。今週中に、と思っていたのに、今日と明日しかない。しかも、後期の集中講義のこともあって(前期ではない)、ちょっと忙しい。

7月10日(水曜日)

 昨日エレベーターの中で学生たちが手の大きさの比べあいをしていた。見ていて気がついたのだが(どうでもいいことなんだけどね)、ペンだこがない。いや、本当にどうでもいいことなんだけど。で、自分の指を見てみて、おどろいた。中指にあったペンだこが小さくなっている。というか、もうあったのかなあというくらいの盛り上がりしかなく、ショックを受けた。確かにペンを握るということが習慣ではなくなって久しいが、ペンだこがあるといかにも勉強してそうで、ちょっとうれしかったんだけど。

 父が学生時代、勉強で使っていて短くなった鉛筆を部屋の壁に貼っていって、受験が終るまで部屋を何週回るかと試していたという話を聞いたことがあるが、僕は受験勉強のときはもっぱらボールペンを使った。で、ボールペンを何本使うかということを楽しみにしていた。血は争えない。この話でもショックを受けたことがあって、大学入学から14年を経て、ようやく入学当初に買った鉛筆を使いきり、新しく1ダースの鉛筆を購入した。どれだけ勉強していないかがわかる。昨日は、4年間使っていたボールペンのインクも切れ、なんか、こういう不勉強なことをいろいろと思い始めたわけ。ついでにいうと、家の勉強机のあかり、韓国から帰国するまでは実家に置いていたからともかくとして、最後に交換したのは大学受験の頃の話だ。高校時代は何ヶ月かに1度、玉が切れたといって交換していたのだから、こちらもどれだけ利用していないかがわかる。いくら電球の寿命が延びたとはいえ、3年経っても交換しなくてすむわけがない。研究室の蛍光灯は、よく交換していただいている。こちらのほうがよっぽど使っているということだ。

 自分の不勉強を長々と書くのは気が引けることではあるが、自分の中で『勉強した』という実感を確認するものというのが誰にでもあるんじゃないだろうか。僕の父にとっては、壁に貼って行った短い鉛筆であり、僕にとってはインクを使い切ったボールペンの束だったように。そういえば、裏の白い広告を集めて綴じて計算用紙にしていたけど、そういうのもすっかりしなくなった。学生時代にはしていたんだけど。なんというか、生活が確実に変化している。

 さて、今日は各種資料の整理のために出てきている。片付けるということが苦手な僕としては、大変な作業だ(笑)

7月9日(火曜日)

 夢中になっていると見逃すことというのはたくさんある。昨日、随分昔に読んだ本を開いてページをめくっていたら、今、必要としている情報があってびっくりした。そんなことが書かれている本だとは思っていなかったんだけど。以前、読んでいた頃には気にもとめないような情報だったんだろうなあ。

 情報教育センターの主催で行われたワード講習会とパワーポイント講習会、今回はテキストを僕も譲っていただいた。卒業論文や修士論文の中間報告会の直前になって大騒ぎをするのは例年のことなのだが、少しでも早めに手をつけて慣れておいたほうがいいと思う。プレゼンテーションの技術は、これから必要とされる技術の一つだ。資料を造っているうちに、必要なことが見えてくるということもあるから、何でも早めに。
 自分で資料を探し出して、自分で資料を分析して、自分でそれをまとめて入力する。それらの一連の作業を一人で出来るようになるというのが最も基本的なライン。資料の探し出し方、資料の読みかた、まとめ方、機械の使い方、そういうことは先生をはじめ、いろんな人に尋ねて教えてもらえばいいわけ。人に任せてしまったら、それで卒業論文の意味の半分はなくなると思っていい。
 夏休み前に資料収集の依頼は済ませておく、それが大切。

 どうでもいいことだが、娘の顔の前にぬいぐるみを持っていって「ちゅう」というと、ちゅっとキスをする。かわいいねえと妻と話していたのだが、僕が顔を近づけて「ちゅう」というと手でぶたれるのはなぜだろう? (・_・、)グスン
 

7月8日(月曜日)

 昨日は七夕ということで、昨年同様、笹を買ってきて、妻と二人で飾り付けをした。娘はまだわからない様子で、笹の葉を引っ張って毟り取ろうとしていたのだが、妻がそのたびに抱きかかえて引き離してくれていた。短冊に願い事を書くというのもなかなか難しくて、いざとなると思いつかない。とりあえず、『豊かな髪』と『お金』というのは書いたけど(笑)。ところがだ。笹を持って移動する時に、どうしてもこの2枚だけが落ちてしまう。他にも落ちたものはあるのだが、どういうわけか、移動のたびに落ちるのがこの2枚。なんだかなあ。

 6月の中ごろだっただろうか、妻が娘を保健センターに連れて行って、母と子のふれあい何とかというものに参加してきたのだが、そのときテレビ局から取材にきていたといっていた。で、その放送が先週の土曜日の夕方にあったわけ。ビデオに録画してから見てみると、確かに映ってはいるのだが、アップになることもなく、ちょっと寂しい気分。うちの娘のほうがかわいいのに、と夫婦で親ばか状態になりながら見ていた。ビデオカメラを買う変わりに一眼レフのカメラを買ったのだが、ビデオもいいなあと思った。ま、どうでもいいけど。

 古書店にお願いしていた本が届き始めた。戦前のラジオテキストのたぐいを集めているのだが、書店によって価格も大きく違う。手が届く範囲のものを集めている。「内地」と呼ばれていた地域、朝鮮、台湾は、それぞれ独立した放送局によってラジオ番組は制作されていたのだが、相互の中継も行われていた。テキスト類を見ながら、実際にどの範囲の人々が聞いていたのかというのが非常に気になる。例えば、今回購入した『ラヂオ家庭大学講座テキスト』は、昭和3年という時期から見て、朝鮮でも放送は始まっていたのだが、実際の新聞のプログラムらんなどを見ながら放送タイトルと講師の名前などの調査を進めないと朝鮮の人々が聞いていたかどうかはわからない。一方、昭和10年の『子供のテキスト』には、表紙に放送局が挙げてあるのだが、その中に京城、大連、台北、台南、奉天、新京が含まれており、日本の植民地にも放送されていたことがわかる。しかも、巻末の投稿欄に朝鮮からの投稿があり、実際に聞いていた人がいたことがわかる。

 僕は日本語教育という側面からの関心の持ち方なので、関心の持ち方が「ことば」に偏ることになるが、当時の言語使用状況がどのようなものだったのかについて、非常に関心がある。祖母が若い頃に仁川で暮らしていたという話を子供の頃聞いたことがあったが、当時は僕もまだ小学1年生頃でよくわからなかったのだが、もう少し祖母が長生きしていてくれたら、いろいろな話が聞けたろうにと残念に思う。自分の祖母のことなのに、わからないことがたくさんある。今度帰省した時に祖母の遺品を少し調べてみようかな。特に写真なんかを。

 さてと、今月で前期も終り。試験が終ったら待望の夏休み。がんばりましょう。

7月5日(金曜日)

 年休を取って、広島を離れて古書店を回ってきた。ちょっと疲れがたまっているので、年休を取って休もうと思っていたのだが、よくよく考えてみたら大好きな古書店めぐりを最近していないということに気がついて出かけることにした。前にも書いたことがあるのだが、最近はインターネットで古書の検索や注文ができるようになっていて、実際に古書店に出向かなくてもある程度のことはできるようになった。つまり、探していた本を見つけることはかなり容易にできるようになったということだ。価格もネット上で比較できるし。でも、自分が知らなかった本に出会うためには、やはり、古書店に実際に出かけたほうがいい。で、今回の古書店めぐりはどうだったかというと、非常に満足できる結果になった。お店で買った本はわずか5冊だったのだが、目録をいただいてきて、ほしい本をチェックしているところ。掘り出し物があったということも事実だが、価格が無理のない範囲だったのがうれしいこと。『最近入手した書籍について』をご覧下さい。
 1泊2日で広島を離れていたのだが、家に帰ってきてメールをチェックしたら今回は32通のメールが。大学宛に届いたメールの転送は、そのうち7通。ネット上で古書の注文をした確認のメールなどが6通、プロバイダーからのお知らせが1通、メールマガジンなどが残りになる。そんなにメールマガジンが読めるのかという話もあるが、特集に関心がなかったら削除しているので、実際に目を通すのはほんのわずか。ただ、時々、僕の許容できないような日本語表現が見つかると、関心を持って読むようにしているけど。

 「全然〜ない」という呼応関係が崩れ、最近では「全然」は肯定文にも使われるようになってきている。僕は理解はしても使わないけど。この「全然〜否定」という呼応関係は、そうはいっても「正しい日本語」と呼ばれるほど伝統的なものではないということは、何度か書いたことがあると思う。夏目漱石の作品の中では「全然」は肯定と結びついていて、明治から大正、昭和を経て今、元に戻ってきただけということもできる。今回古書店で購入した書籍の一つ、『ぼくらの文庫 日本語発音の話』には本論に入るマクラとして、「とても」に関する話がある。曰く、「『とてもおいしいのよ』などといふ時の『とても』は、昔は『とても駄目だ』とか『とても出来ない』などと打消の場合に限って使はれたものであるが、大正年代に今のやうな使ひ方がはやり出し、今では落ち着いた言葉づかひの方にはいってしまった」とある。呼応関係が崩れるという例は、もしかしたら、意外と多いのかもしれない。調べてみると面白いかもね。最近は小説なんかはテキストデータ化されているから、データを集めるのは案外楽かも。

 さてさて、7月末のワークショップの準備に取り掛かろう。

7月2日(火曜日)

 通勤の時に前を通る某紳士服量販店、今、改装のための売り尽くしセールをやっている。先々月末にかかっていた横断幕には、「生れ換わります」と「換」の文字が使われていて、何か深い意味でもあるのかと思っていた。というのも、ワープロで普通に変換して、そんな文字使いになるわけがないからだ。そのまま忘れてしまっていたのだが、昨日前を通った時に、「換」の部分に張り紙がしてあって、「生れ変わります」に変わっていた。やっぱり単なる間違いだったかと、なんとなく寂しい気持ちになった。ま、どうでもいいけど。

 昨晩から今朝にかけてはまさにバケツをひっくり返したような雨。雨の音で目がさめたくらい。実際は、蚊の羽音がうるさくて目がさめたんだけどね。妻にも、健康な若い血が流れているはずの娘にも、蚊は見向きもせず、なぜか僕にたかってくる。確かにO型の人間は刺されやすいというけど、ここ数日、体のあちこちが痒くて仕方がない。あごは目立つんだよなあ。僕の中では、「蚊にかまれる」>「蚊に食われる」>「蚊に刺される」の順でネイティブ感が薄れる。皆さんはどうだろうか。

 スーツの変えが乏しいこともあって、今朝は雨を用心してバスに乗って出てきた。運転席に近い席に座っていたのだが、小学生が降車する時、「子供です」といわずにカードを通してしまった。運転手の方が、「子供って言わなきゃだめだよ」といいながら、半額を現金で返していた。当然のことで、なんでもないことなんだろうけど、ああいう場面を見るとちょっとほっとする。ラッシュ時なんてイライラしている運転手の方も多いのに、子供がちゃんと理解できるように話して聞かせながら、あんなふうに振舞える人がいるというのはいいよね。自分の子供がバスに一人で乗るときのことを考えたりすると、バス会社の信頼というのはこういうところで支えられているんだなあということがわかる。何もバスの車庫の見学会をやったり、イベントをやる必要はなく、普段から当たり前のことを、当たり前にやれれば、それ以上のことは求めないんだけど。とはいいながら、「当たり前」のことをやり遂げるというのは、実は大変なことだよね。

 さてさて、就職活動で僕に相談してくる学生もいるということがわかった。人生がどう転がっていくか、その選択なのだから学生も必死だ。内定を複数得てその選択に迷う学生もいれば、試験勉強の疲れで愚痴を言いにくる学生もいる。僕としてはただ聞き役になるか、どうでもいい話をして気持ちを少し違うところに持っていくことくらいしかできない。自分の人生を決めるのは、誰でもなく自分自身。いい結果が出るように祈ってますね。

 関係ない話になるが、某携帯電話のコマーシャルで、人を好きになったら写真にとって友達に送る、そうするとその人がどこにいるかを知らせてもらえるかも、といった設定のものを流しているが、妻が「これってストーカーの一歩手前じゃん」といっていたが、確かにそのとおりだ。どこかですれ違っただけの人から好意を寄せられ、自分の写真が一部の人の中に流布し、自分の行動を逐一報告されているとしたら、ぞっとする。しかも、自分に好意を寄せているその人が、どういうわけか、自分の立ち寄る場所に常にいるなんて、気持ち悪いこと甚だしい。犯罪に結びつかないように祈るばかり。

 明日と明後日、年休を取ります。次回更新は、金曜日ということになります。m(__)m

7月1日(月曜日)

 空梅雨だとばかり思っていたら、そんなことはなかったかのように雨が降り続いている。九州のほうでは、がけが崩れたというニュースもあって、もう少し穏やかに降らないものかと心配になってくる。雨が続くので散歩にも出かけられず、娘はストレスがたまっている様子。晴れてくれるといいんだけど。

 7月9日(火曜日)に東京大学で研究会が開かれる。韓国・朝鮮文化研究会なのだが、テーマは「植民地での近代化について−科学史的視点から」。非常に関心のあるテーマなのだが、ちょっと夏休みに向けて片付けておかないといけない仕事が立て込んでいて、身動きが取れそうにない。今回はレジュメを送っていただけるよう、お願いしたところだ。

 これも研究会の話なのだが、先週の金曜日、文化庁国語課の方から自宅までお電話をいただいた。7月31日と8月1日に開催される「日本語教育大会」に参加しないのかという問合せだった。(文化庁のホームページから詳細が見られます。)恥ずかしいことに、この時期にやっていることも知らなくて、国語課の方も案内を送っていなかったかもしれないとおっしゃっていた。この大会は事前の申し込みが必要で、その締め切りが先週の金曜日だったというわけ。ファックスで送ってもいいとおっしゃっていただいたのだが、8月1日からは集中講義があるし、31日までは学期期間中なので、動きにくいなあと思いお断りした。来年度の大会については、出張を組んで出かけたいと考えている。わざわざお電話いただいて、本当に感謝している。

 どうでもいいが、昨日の晩御飯でがんもどき作りにチャレンジした。結果はというと、がんもどきもどき、ができたといったところ。豆腐好きの娘が、結構喜んで食べてくれたのがせめてもの救い。やっぱり、本屋の立ち読みでレシピを覚えたつもりになっても、忘れてるよねえ。


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